一度「ゼロ」になった街は、支え合いのなか甦る 冬の南相馬・小高で感じた熱いくらいの「温かさ」
提供元:南相馬市
接客の師匠は「祖母」だった
田舎の家族と共に過ごしているかのような時間を与えてくれる――そんな双葉屋旅館は戦前、小林さんの曾祖母の代から続いているという。震災前はもちろん、震災後も後も多くの人から必要とされている。小林さんによると「リピーターも多い」そうで、きっとそれは小林さんの気安く温かなもてなしの賜物なのだろう。

その温かさのベースとなっているのは、小林さんの祖母のやり方だという。
「接客は祖母のお手伝いをしながら学んできて、同じようにやれたらなと思っています。接客をする上で特に大事にしているのは、『ちゃんと掃除をする』、『素材を活かした食事の味付け』です。
私もあちこちの場所に行きましたけど、やっぱり地元の味が一番おいしいと思っています。地元がしみついているのかもしれませんね。
とにかくここ(地元)で出来た物を出して、それで来ていただいた方に喜んでほしいんです」

旅館で出すのは仙台牛や福島牛、地元の店で買った魚、地元産の野菜やコメ、ドレッシングも自分たちで作っている。地元産の食材にこだわる小林さんだが、しかしそれは「地元愛ではない」という。
「自分のためですよ。小高は原発事故の影響で人口が0になってしまいました。今また震災前と全く同じ街に戻すのは不可能でしょう。だから、自分で作ってしまおうと考えました」
存在する色が信号の色だけだった街に花を植え、人が立ち寄る場所にするために旅館の隣にアンテナショップ「希来(きら)」も作った。そこでは小林さんが手がける製品の他、南相馬市を中心とした手作り品や本などを扱っている。

避難先から小高に人が戻ってきやすいように、放射能測定のボランティアにも取り組んだ。ほかにも小高で様々なアクティビティを楽しめるプロジェクトを企画するなど、精力的に活動する小林さんだが、これもやはり「自分のためにやってるんです」と語る。
彼女を動かすのは「地元だから(小高を)なくしたくない。なくさないためには何をしたら良いか」という思いだ。
「人がいなければ事業はできません。だから、自分がちゃんと事業をやって経済を回していきたいんです。経済が回らないと街にはなりませんからね。
だから、やりたいことはやる姿勢でいるんです。小高は自分でチャレンジがしやすい場所だと思いますから」