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一度「ゼロ」になった街は、支え合いのなか甦る 冬の南相馬・小高で感じた熱いくらいの「温かさ」 

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2022.02.10 12:00
提供元:南相馬市

「人の温かみに触れる」――。

ここ最近の閉塞的になってしまった世の中では、そんなことが少なくなったように感じる。ネット上でつぶやかれた冷たい言葉を目にするのも、日常茶飯事。そんな中、筆者が見つけたのはこんな温かい書き込みである。

「暖かい雰囲気でまったりくつろぐことのできる貴重な場所です」
「気の良い女将が迎えてくれる、おばあちゃんちみたいな旅館。きちっとした『おもてなし』のような扱いより、夏休みに帰ってきた息子みたいなノリが好きな人にはオススメ」

これは、福島県南相馬市小高(おだか)区にある旅館に宿泊した人たちの感想だ。

縁もゆかりもない場所なのに、「帰ってきた」という気持ちになる――今回読者の皆さんにお届けするのは、この旅館、そして街全体からあふれ出す「温かさ」の一端だ。

ここは本当に旅館なのか......?

南相馬市小高区の場所
南相馬市小高区の場所

南相馬市小高区は、東京電力福島第一原発から20キロメートル圏内にある。2011年の東日本大震災での原発事故後、避難指示区域に指定され、一時は人口がゼロになった。

その後、12年4月には自宅への寝泊まりは原則認められないものの、一時帰宅や事業再開などを認める避難指示解除準備区域になり、そして16年7月、避難指示が解除された。

そんな小高区で唯一の旅館が、気の良い女将が迎えてくれると評判の「双葉屋旅館」だ。

双葉屋旅館(Jタウンネット編集部撮影=以下同)
双葉屋旅館(Jタウンネット編集部撮影=以下同)

旅館に足を踏み入れると、「おかえりなさい」の玄関マットが出迎えてくれる。この場所に来たのは初めてだが、「おかえり」と言われると不思議なもので、大きな安心感に包まれた。

双葉屋旅館の玄関マット
双葉屋旅館の玄関マット

そして、「いらっしゃい」と優しい笑顔と声で出迎えてくれたのが、旅館の女将・小林友子(こばやし・ともこ)さん。

女将の小林友子さん
女将の小林友子さん

小林さんにも初めて会ったはずなのに、気さくで柔和な人柄は、訪れる者をリラックスさせてくれる。

客室
客室

客室もほどよいサイズ。まるで祖父母の家の一部屋に訪れたかのようで、居心地が良い。女将の人柄と相まって、すっかり宿に泊まっていることを忘れてしまった。

接客の師匠は「祖母」だった

田舎の家族と共に過ごしているかのような時間を与えてくれる――そんな双葉屋旅館は戦前、小林さんの曾祖母の代から続いているという。震災前はもちろん、震災後も後も多くの人から必要とされている。小林さんによると「リピーターも多い」そうで、きっとそれは小林さんの気安く温かなもてなしの賜物なのだろう。

取材中の女将
取材中の女将

その温かさのベースとなっているのは、小林さんの祖母のやり方だという。

「接客は祖母のお手伝いをしながら学んできて、同じようにやれたらなと思っています。接客をする上で特に大事にしているのは、『ちゃんと掃除をする』、『素材を活かした食事の味付け』です。
私もあちこちの場所に行きましたけど、やっぱり地元の味が一番おいしいと思っています。地元がしみついているのかもしれませんね。
とにかくここ(地元)で出来た物を出して、それで来ていただいた方に喜んでほしいんです」
夕食はA5ランクの福島牛、地元の鮮魚店の刺身など、贅沢なメニュー
夕食はA5ランクの福島牛、地元の鮮魚店の刺身など、贅沢なメニュー

旅館で出すのは仙台牛や福島牛、地元の店で買った魚、地元産の野菜やコメ、ドレッシングも自分たちで作っている。地元産の食材にこだわる小林さんだが、しかしそれは「地元愛ではない」という。

「自分のためですよ。小高は原発事故の影響で人口が0になってしまいました。今また震災前と全く同じ街に戻すのは不可能でしょう。だから、自分で作ってしまおうと考えました」

存在する色が信号の色だけだった街に花を植え、人が立ち寄る場所にするために旅館の隣にアンテナショップ「希来(きら)」も作った。そこでは小林さんが手がける製品の他、南相馬市を中心とした手作り品や本などを扱っている。

小林さんが手がける菜の花オイルとドレッシング、ボディーソープ
小林さんが手がける菜の花オイルとドレッシング、ボディーソープ

避難先から小高に人が戻ってきやすいように、放射能測定のボランティアにも取り組んだ。ほかにも小高で様々なアクティビティを楽しめるプロジェクトを企画するなど、精力的に活動する小林さんだが、これもやはり「自分のためにやってるんです」と語る。

彼女を動かすのは「地元だから(小高を)なくしたくない。なくさないためには何をしたら良いか」という思いだ。

「人がいなければ事業はできません。だから、自分がちゃんと事業をやって経済を回していきたいんです。経済が回らないと街にはなりませんからね。
だから、やりたいことはやる姿勢でいるんです。小高は自分でチャレンジがしやすい場所だと思いますから」

明かりをつけていれば、誰かが見つけてくれる

小林さんは小高でチャレンジしている人、頑張っている人のことも教えてくれた。

そのうちの1人が、「小高とうがらしプロジェクト」代表の廣畑裕子(ひろはた・ゆうこ)さんだ。

名前の通り、小高でトウガラシを栽培するプロジェクトで、ここで生産されたトウガラシを使った商品は、双葉屋旅館から徒歩数分の場所にある「小高工房」で販売されている。

小高工房の看板と代表の廣畑裕子さん
小高工房の看板と代表の廣畑裕子さん

廣畑さんは震災後、しばらく避難所で生活をつづけていた。しかし、彼女の心はいつも小高にあった。

そして立ち入りが可能になると小高を訪れるのだが、知り合いや友達がいない。人がいない状態の小高は「とても寂しかった」。そこで2015年、彼女はまず、コミュニティースペースを作る。

「明かりをつけていれば誰かが見つけてくれるのではないか。そんな希望を持って人が来るのを待っていました」(廣畑さん=以下同)

そして、このスペースを作ったことが、トウガラシ栽培のきっかけをもたらした。

開所から5か月が経った2015年12月に発生した地震で、小高にも揺れが走る。その時も廣畑さんは、コミュニティースペースの明かりを灯したままにしていた。すると、地震の怖さから、軒下に70代くらいの人が4人、集まってきたのだという。

「このときになってようやく『小高に人のいる風景』が作れたと思ったんです。これ以降、ちょっとずつコミュニティースペースの存在が広まっていきました」
インタビュー中の廣畑さん
インタビュー中の廣畑さん

そんな風にして人が集まるようになったある日、廣畑さんはこんな話を聞くことになる。

「コミュニティースペースで会った人の中に農業に従事している人がいて、獣害に悩んでいると言うのです。
小高は避難指示区域になっていたため、5年ほど人間が住んでいませんでした。そうなると、もう人間の世界から動物の世界に変わってしまっていたんです。私も避難指示区域解除後に小高で20匹のサルの群れと遭遇したことがありましたが、5年もいなかった人がやってきたわけですから、部外者はサルよりも人間のほうなんですよね。
ただ、人間にも生活がありますから獣害とも向き合わなければなりません。そんなとき、農家の方から農作物を軒並みやられたけど、唐辛子だけは何ともなかった、と教えてもらったんです」

もしかして、動物たちはトウガラシが嫌いなのでは――?そう思った廣畑さんは2017年から試験栽培を始めた。彼女と2人の仲間、たった3人でのスタートだった。

トウガラシが広げたコミュニティ

店内の様子
店内の様子

廣畑さんらの頑張りは実を結び、プロジェクトに携わる人は18年には60人にまで増加した。そして現在では80人以上になっているという。

「小高工房の商品を人に配るために複数買ってくれるお客さんも出てきました。商品を配ってその品の話題で盛り上がってくれれば、それで1つコミュニティができますよね。
それにプロジェクトに取り組んでくれる人も増えていましたから、トウガラシの話題でつながれました。トウガラシ1つでコミュニティができあがっていったんです」
小高工房の店内
小高工房の店内

コミュニティを大切にする廣畑さんは、小高での人のつながりについても話してくれた。

「小高には倒れたときに救急車を呼んでくれるレベルのつながりがあると思います。高校生が知らない人にもあいさつしてくれて。普段からあいさつだけでも声をかけていれば、いざというときに声を掛け合いやすいですからね」

廣畑さんにとって小高とは「神経が痛くない。心のとげが1本抜いてある場所」だという。

「これから小高はずっと被災地と言われ続けてしまうかもしれません。それでも、小高に行けば楽しいと思ってもらえる場所であってほしいです。子供に先祖の墓参り以外でも来てもらえる場所がいいですね。泣いてばかりではなく、笑える場所になってもらえればいいです」

チャレンジを支えてくれる、温かく寛容な人々

双葉屋旅館の女将・小林さんが「小高でがんばっている人」として紹介してくれたもう1人が、「故郷喫茶 カミツレ」を切り盛りする吉田祐子(よしだ・ゆうこ)さんだ。

このカフェは、地域の復興・再生を目的に整備された「小高交流センター」の一角にある。

カミツレの看板と吉田さん
カミツレの看板と吉田さん

吉田さんも小高の出身。デザートの皿盛りに興味を持ち、東京都立川市の専門学校に進学し、卒業後は千葉・幕張や仙台の結婚式場で腕を磨いた。そして16年7月の避難指示区域解除をきっかけに、両親と共に地元に戻ってきた。その時に感じたのが、「とにかく『お店がない』」ということだった。

そこで自身の経歴を生かし、スイーツやランチメニューを提供するカフェを始めることに決めた。目指したのは「お客様が楽になれる場」を作ることだ。

「新しいコミュニティを作っていくのは大変です。カミツレに来たことで、たまたま人と会えたとか、コミュニティが再開する場になってほしいです。
また、小高は高齢者が多いですから、彼らがコミュニティを築く場にもなってほしいですね。高齢者の場合、1人でいらっしゃるお客さんでしたら来店の頻度も私はすごく気にしています」(吉田さん=以下同)

訪れた人に太陽のような明るい笑顔を見せ、温かいまなざしを向ける吉田さん。そんな彼女を、地域の人々も優しく支えている。

「小高の良いところは、0から発進できて、自分のやりたいようにやれることだと思います。でも、0から何かを始めるのは怖いもの。ただ、小高にはそれを明るく、寛容に支えてくれる人がいます。
私が小さいころからそうでしたが、小高では知らない人ともあいさつしていて、助け合うことが多いんです。チャレンジャーに優しくて安心できる場所ではないでしょうか」
吉田さん
吉田さん

吉田さんにとって小高は「なくなってほしくない場所」。店名の「故郷喫茶カミツレ」にも、そんな思いが込められている。

「震災のときは仙台で1人暮らしをしていて、家族と連絡が取れなくなってしまいました。報道で『小高は全壊した』と聞きましたし、立ち入り禁止という話もありましたから、『このまま故郷がなくなる』という恐怖を覚えました。今はこうして戻ってきていますが、震災のときの経験から『故郷』という言葉がずっと頭に残っていました」

地域の人を見守り、見守られ、吉田さんは小高でチャレンジを続ける。彼女が願うのは、故郷を守り続けることだ。

「私は今1つの目標として小学校のみんなと同級会をやりたいです。同級会は2011年以降、みんなバラバラになってしまってやれていません。だから、今度みんなが集まるときのためにも、小高という居場所を守り続けたいです」

「とにかく応援してくれる人が多い」

外から新しくやってきた人にとっても、小高という街はチャレンジしやすい場所だという。

筆者が出会ったのは19年12月に小高に移住してきた神瑛一郎(じん・よういちろう)さんだ。

東京都新宿区出身の神さんはこの地で一般社団法人「Horse Value」を設立。馬に乗って海や森を散歩するトレッキングや小高の街を馬に乗って散歩する「小高うまさんぽ」や、イベントへの馬の貸し出しや撮影協力といった事業を行っている。

神瑛一郎さん(本人提供写真)
神瑛一郎さん(本人提供写真)

国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追が行われるなど、人と馬との生活が密接な南相馬の地で神さんは「馬を使った事業で人と馬を身近にしたい」と奮闘している。

「小高は挑戦がすごくしやすいところだと思います。
何事も前例がないことをやると弊害が生じてしまうものですが、(小高では)地域や地元の方が僕みたいに若い挑戦者の背中を押してくれるんです。他所から来た移住者と地元の方とのトラブルもないです。とにかく応援してくれる人が多いですからね」(神さん=以下同)
トレッキング中の神さん(画像はHorse Value@horse_valueのツイッターアカウントより)
トレッキング中の神さん(画像はHorse Value@horse_valueのツイッターアカウントより)

小高に「住んでみて良かった」とも話す神さん。地域に対する愛着もすでに沸いているようだ。

「小高は、今のままでいいと思います。やりたいことをやらせてくれて、背中も押してくれる。世間知らずな若者のやることに『それいいね』と言ってくれる。
不満があるとすれば、寒いことと、車が無いと厳しいことくらいですかね。若い芽を摘まずにやりたいことができる小高のままであってほしいです」

旅の終着点にも移住者の姿

JR小高駅(Jタウンネット撮影=以下同)
JR小高駅(Jタウンネット撮影=以下同)

双葉屋旅館の小林さん、小高工房の廣畑さん、故郷喫茶カミツレの吉田さん、Horse Valueの神さん。小高で挑戦する人たちはみんな情熱的で、まっすぐに前を向いていた。

そして初対面である筆者を、まるで小高の住民のように自然と受け入れて、話をしてくれる。

それはまるで、田舎に住む親戚と会って、再会を喜ぶような心地よさ。

小高の人々にすっかり温められた筆者は、ホカホカの気持ちで自宅に帰ることにした。小高駅に向かい、電車が来るのをホームで待つ――のだが、さすがに福島の冬は冷える。どこか寒さをしのげる場所がないかと思っていると、駅員室に普通に一般人が入っていくのが見えた。

入ってもいいのか、と後に続いた筆者の目の前に現れたのは、駅員室を改装したフリースペース。そして、そこにいたのはJRの職員ではなく、「駅もり」という聞きなれない役職の人だった。

駅もりの菅野真人さん
駅もりの菅野真人さん

無人駅である小高駅に駐在する「駅もり」は地域住民や駅を利用する学生たちを見守りながら、イベントを企画するなど、地域の内と外を繋ぐ役割を担っているという。

21年、この「駅もり」に就任したのが、菅野真人(かんの・まさと)さん。話してみると、彼もまた移住者だ。移住してきてまだ1年ほどしか経過していないが、しっかりと「小高の良さ」を感じている。

「小高の人たちは移住者慣れしていて、僕みたいな人にやさしいんです。引っ越してきてから、1人暮らしの僕に食べ物の差し入れをしてくれる人もいて、すごく助かりました。
それに移住してから地域の人と交流する機会が増えたように思います。コンビニも数が少ないので同じところに行っていれば、必然的に店員さんとも知り合いになりますし、メインストリートも駅前の道1本しかないので、すれ違う人も決まってきます。料理教室に行けば何かとおすそ分けをもらえますね」

菅野さんはすっかり「駅もり」として地元住民や通学で訪れる学生たちと馴染み、人がいない時間に子供を連れて駅に遊びに来てくれる人もいるそうだ。

小高に帰ってきた人、新しく小高にやってきた人。それぞれが挑戦をしながら、小高という街を再び形作っていく。それを可能にするのは、お互いを見守り、支え合う眼差しなのだろう。

なにかチャレンジを始めるなら、こんな場所でやってみたい――そう思わせる熱いくらいの温かさが、小高にはあった。

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<企画編集・Jタウンネット>

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