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「被災地を観光する」岩手県陸前高田市【後編】:造成地に未来を描く 陸前高田にかけられた橋

中丸 謙一朗

中丸 謙一朗

2018.06.13 17:00
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復興によって失うものがある

   自らも被災者である東教授は、東北各地の自治体から、地域づくりについて学識経験者としての意見を求められる。岩手県内某自治体の「観光振興ビジョンづくり」もそのひとつである。

   「復興によって失うものがある」と東教授は言う。

「被災地の最大の集客資源は、"被災地"であることです。観光を振興していこうとする彼らは薄々そのことがわかっている。だから被災地の匂いがなくなってしまうことを恐れてもいるのです。人々の思いとは裏腹に復興のなった新しい街は必ずしも集客力のある街になるとは限らない。人は生々しい傷跡は見たくても、治ってしまった姿など本当は興味がないのかもしれません」

   復興の定義が、震災前の経済規模と同水準になることだとすれば、果たしていまの被災地はきちんとそこへの軌跡を描けているのか。また未来へと望みをつなぐ「観光行政」は果たして地域の特性を見失わずに行われているのか。取り戻す「原風景」と言っても、それはいったいいつの時代を指しているのか。本物の景色を取り戻すといっても、それはいつの誰にとっての本物なのか。

   「復興とは人々の生活の場を再生していくこと。そこで暮らす人と人とのつながりを生み出し、傷ついたこころを取り戻していくこと」。東教授はこう強調した。

   ノスタルジーが復興の力強いモチベーションになり、また同時に適切な復興を阻む足かせにもなる。その土地やその土地への思いが永遠に続いていく。そのことを追い求め、また追い続けることが、もしかすると「予想される」結論なのかもしれない。だが、実体はもっと儚い。人の思いは永遠ではなく、地縁血縁があっても簡単に途絶える。「三代続く」なんていう言葉がひとつの慣用句のように親しまれていた時代のスピードが速まり、もはや、二代に渡る思いの継承さえも難しい。これは被災地の陸前高田だけではなく、全国各地で起こっている。すっかり景色の変わってしまった関東平野の片隅の土地に建てられた父親の墓を前にして、わたし自身もふとそう思うのだ。

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