「被災地を観光する」岩手県陸前高田市【前編】:傷跡から記念公園へ 原風景を失った街が目指す姿
2018.06.13 17:00
僕たちは原風景を二度失った
午後、街の東側の地区につくられたあるコミュニティスペースを訪ねた。週末である今日は、盛岡からやってきたミュージシャンがジャズの生演奏を聞かせるのだという。舞台のある明るくウッディなスペースで、お客さんは地域の方々が10人ほど。みんなでお茶を飲みながら静かに音楽を聞いている。
演奏後の談笑で、何人かの地域の人と話をした。こんな年配の方の言葉が印象に残った。
「俺たちは二度原風景を失った」。
昭和の高度経済成長は街を発展させ、こどもの頃に親しんだ地域の原風景を次第に変化させていった。それは悲しくもあり、またどこか誇らしいことでもあった。そして、その発展の積み重ねられた昭和の故郷の原風景が、津波によって全部流された。彼らが見ていた思い出の風景は完全に消え去ったのだ。
震災から7年。あきらかに外野には伝わっていないことがある。そして、わかりやすく古い、みんなが「懐かしい」と消費し尽くそうとするものは、もはやこの街にはない。とにもかくにも、陸前高田は生まれかわろうとしている。長い間、ためらっていた被災地だが、来てよかった、わたしはそう思った。(後編へ続く)【『地域人』(第32号、第33号)(大正大学出版会発行)より転載】