「どこにでもあると思ってた」「親として自慢できるゲーム」 津軽人しか知らない謎の存在「イモ当て」とは何ぞや?
起死回生の大ヒット「イモ当て」
その後、団塊の世代の子供達は成長し、集団就職し、少子化が進み、駄菓子屋が減り、昭和40年頃には駄菓子メーカーは弊社1件しか残らず、佐藤製菓も苦境に立つ。そんな中、ヒットしたのが「イモ当て」だった。
「弘前周辺では、生菓子の『大王当て』、これに対抗するのが青森市周辺で人気の合った生菓子の『あん玉』があり、青森市に『大王当て』を持って行ってもほとんど売れず、商圏は弘前周辺だけでした。この餡ドーナツを2つに切った形の『イモ当て』は青森の商圏でも受け入れられ、大ヒットとなり、佐藤製菓を立て直すことができました」(佐藤力雄代表)
昭和の終わりころから、団塊の世代が里帰りする「お盆、お正月」に、子供のころの故郷を懐かしみ、家族や友達同士、その子供達と一緒に楽しむようになってきたという。さらに、お土産として持ち帰るようにも......。販売先も、駄菓子屋ではなく、菓子問屋やスーパーや百貨店で、お盆・お正月用品として、箱ごと販売されるようになってきた。
「イモ当て」「大王当て」の楽しみ方は、写真上をご覧いただこう。
台紙にくじが貼られており、家族で、あるいは友人同士数人で、順番にくじをめくって遊ぶ。親が出ると、大きなお菓子がもらえ、子を引くと、小さなお菓子がもらえるというルールだ。「大王当て」の場合は、閻魔大王が出ると、さらに大きなお菓子がもらえるという。
くじをめくり、親が出ると、大きなお菓子をほお張る。思わずニッコリ、歓声も上がる。単純といえば、単純なルールだが、これがやたら盛り上がるらしい。
「子供の頃の心境を思い出し、くじを引いて、皆で思い出を語りながら、そして味わう」と、佐藤代表も力説する。「津軽人にとっては、故郷としての津軽と子供の頃の思い出が重なり、そしてその子供に伝え、一緒に喜び、親として自慢できるゲーム」と、佐藤代表のトーンはかぎりなく上がっていく。
「イモ当て」で盛り上がる津軽出身のオヤジたち。津軽弁YouTuber「すんたろす」さんの動画で見てみたいネタかもしれない(ついて行けるかどうか、ちょっと自信ないが......)。