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「どこにでもあると思ってた」「親として自慢できるゲーム」 津軽人しか知らない謎の存在「イモ当て」とは何ぞや?

松葉 純一

松葉 純一

2023.08.29 08:00
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津軽人は知っているが、津軽以外の人は知らない

津軽弁YouTuber「すんたろす」さんによると、「イモ当て」が青森独自のものだと知ったのは、つい最近のことだったらしい。東京都内にある青森県の物産館の中で、東京出身者が「イモ当て」を知らなかったことで、初めて気がついた。「当たり前に駄菓子屋に置いてあるものだと思っていたから......」と語る。

そう。「イモ当て」は駄菓子なのだ。

SNSの反響の中で印象に残ったのは、「青森県内でも、津軽地方の人は知っているが、津軽以外の人は知らないこと」だったようだ。

津軽地方の人だけが知っているらしい「イモ当て」とは......?  製造元である佐藤製菓(弘前市)に話を聞いてみよう。

左下がインゲン豆の生餡入り「イモ当て」、右下は青森らしい「りんごあん」入り(画像提供:佐藤製菓)
左下がインゲン豆の生餡入り「イモ当て」、右下は青森らしい「りんごあん」入り(画像提供:佐藤製菓)

Jタウンネット記者の取材に応じたのは、佐藤製菓の佐藤力雄代表だった。

「イモ当て」は、同社では「津軽当物(あてもの)駄菓子」というカテゴリーの商品だという。いつ、どんなきっかけで生まれたのか、聞いてみた。

「昭和初期には津軽地域ですでに作られていたそうです。初代の助一も子供のころから親しんでいて、戦後に製造していた数件あったメーカーの一つに修行に入り、覚え、独立開業したのが佐藤製菓です。そのころのくじ紙には閻魔大王が描かれ、練りきりの生菓子が大王(大王当て)と呼ばれていたそうです」(佐藤力雄代表)
インゲン豆の生餡で作られる「大王当て」(画像提供:佐藤製菓)
インゲン豆の生餡で作られる「大王当て」(画像提供:佐藤製菓)

「津軽当物駄菓子」の発祥は、昭和初期の「大王当て」だったようだ。そしてその最盛期は、戦後、昭和20年後半~30年中頃だったという。

「メーカーも6、7社あり競い合ってお菓子を作っていました。お菓子を大きくしたり、キャラクターものにしたり、くじのあたりを『大王』の上に特賞を付けたり、様々な方法で射幸心をあおりがらも子供たちに楽しみを与え、そして自らも生活の糧として作られ続けて行きました」(佐藤力雄代表)
起死回生の大ヒット「イモ当て」
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