「答え」は武田信玄らしいけど... 夏休みの宿題に山梨県民「炎上間違いなし」→専門家も「これはダメですね」
それぞれ功績がしっかりある
カンカンのパパさんは記者に、(1)も(2)も(3)も正解だと思う理由を熱弁する。
「信玄公が一番有名ですが、信虎公は甲斐を統一して戦国大名武田氏の基礎を作り、石和から今の県都である甲府へ山梨の中心を移し、その後の山梨の歴史に大きく影響を与えています。
勝頼公は最終的に滅んでしまいましたが、一時は信玄時代を凌ぐ武田氏の最大版図を築いており、それぞれ立派な実績を持っています」
前提として、室町時代とは室町幕府が成立した1336年(あるいは1338年)から足利義昭が織田信長に追放された1573年までと言われる。その後半から戦国時代が始まるが、いつからいつまでを戦国時代とするのかは、様々な説がある。
とはいえ甲斐国主になった年はそれぞれ、(1)武田勝頼が1573年、(2)武田信虎が1507年、(3)武田信玄が1541年で、(1)勝頼が家督を継いだのも足利義昭の追放より数か月前で、いずれも室町時代後期の話だ。
(3)武田信玄の父で、甲斐を統一し、甲府を造った功績を持つ(2)武田信虎には、近年再評価の動きもある。18年にはJR甲府駅北口に信虎公の像が建てられ、21年11月には彼を描いた映画「信虎」が公開された。
(1)武田勝頼は、設楽原(長篠)合戦で織田・徳川連合軍に大敗して勢力が衰え、甲州征伐で滅亡したが印象が強い。しかしその一方で、父である(3)武田信玄でさえ攻略できなかった高天神城を攻略。武田氏の領土を最大にした功績も持っている。そして、JR甲斐大和駅前に像もある。