ご利益は「玉の輿」? 女性が集まる神社が京都にあった
2016.10.08 07:11
5代将軍綱吉の母・桂昌院と深い関係
中世に荒廃した今宮神社の再建に寄進したのが桂昌院。出身は今宮神社の近く、幼名はお玉と言い、八百屋の娘でした。父の他界後、下級武士の養女となり、寺で尼さんの身の回りの世話をするようになりました。
その尼さんが3代将軍家光に見初められ、側室になる際にお玉も江戸に同行。その後、家光はお玉も側室として迎え、後に男の子を出産。その子が5代将軍綱吉となりました。
八百屋の娘から将軍の母へ。江戸時代にこんなシンデレラストーリーがあったのですね。お玉の出世から「玉の輿」という言葉が生まれたともいわれます。そして、お玉が再建した今宮神社は「玉の輿神社」と呼ばれるようになりました。
今宮神社には玉の輿守りがあり、お玉にちなんで京野菜が優しい色合いの西陣織で描かれています。(ライター:青空繭子)