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「炎のストッパー」津田恒美の息子、亡き父の記念館設立を目指す

ご当地テレビ視聴隊

ご当地テレビ視聴隊

2017.02.05 07:18
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大きかった父の存在を見つめ直して

大毅さんの父親は、強烈なインパクトを残したまま、24年前脳腫瘍でこの世を去った津田恒美投手。

津田投手を記念して球場に設置されている「津田プレート」(Naocchiさん撮影、Wikimedia Commonsより)
津田投手を記念して球場に設置されている「津田プレート」(Naocchiさん撮影、Wikimedia Commonsより)

訃報は大毅さん4歳の時でした。

その1年後広島市民球場で、始球式でマウンドに立った大毅さん。

温かい雰囲気に包まれた球場に、大毅さんは「子供ながらに何かすごいことやってるんだなという記憶はあったので...」と振り返りました。

人々の記憶が決して色あせることのない、炎のストッパー。

あまりの剛速球で原選手は手首を骨折したほど。

5回目のリーグ優勝の時、エース北別府は完投目前胴上げ投手を津田に譲り、大きな話題となりました。

チームメートはもちろん朴訥な人柄は誰からも好かれていて、報道陣も例外ではなく、「担当記者にも非常に気さくで人気があった」と田渕さんは言います。

一方の大毅さんは、父と同じく投手だった東京国際大学時代までは「津田の息子」に抵抗もあったそうです。

大毅さんは「重荷になって、それで嫌な思いをしてきたのは正直なところですね」とのこと。

そんな大毅さんも、ファンの声を聞くうちこう考えるようになったそうです。

「ちゃんと父と向き合ってみて、また何か違ってくるものが違ったものが見えるんじゃないかと」。

そう思って出した結論が「記念館を作ろう!」でした。

プロ野球選手の記念館は、日本全国にすでにいくつかありますが、カープでははじめてとなります。

これからの課題は建設場所と資金集めで、山口県周南市の津田恒美の生家のリフォームも選択肢のひとつですがアクセスも含めて検討していくそうです。

またインターネットを通じて出資を募る、クラウドファンディングも活用していくとのこと。

「これから父にゆかりのある方とかファンの方とお会いする中で、(自分も)変わっていくのかなと」と語っていた大毅さん。

父親の伝説を形として残す"炎のプロジェクト"が今力強く動き始めました。

それが形になる日が今から楽しみですね。(ライター:石田こよみ)

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