【歴史さんぽ】祇園八坂神社の「本家」? 広島・カラカワの神様を訪ねる

2013年8月22日 12:00

Jタウンネットでは、各地のお散歩コラムを募集しています。今回は都内に勤務する広島県出身のTさんから、少し長めの「歴史さんぽ」コラムを寄稿してもらいました。広島東部の小さな社が、京都の有名神社の「本家」だったという説を追っています。

◇ ◇ ◇

「祇園祭」でおなじみの八坂神社といえば、京都を代表する観光名所の一つ。いつ行っても参拝客で押すな押すなのにぎわいですが、八坂神社の「本家本元」を名のる神社が広島県にひっそり存在していることをご存知でしょうか。

その名は賀羅加波(からかわ)神社。意外な説に歴史好きの心が騒ぎ、お盆まっただなかのある日、帰省のついでにぶらり訪ねてみることにしました。

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賀羅加波神社社殿。蝉の声だけが高く響いていた

「空っぽの川」の神様

JR広島駅から新幹線で約30分、降り立った三原駅からさらにバスで北へ15分――。小さな住宅街と田畑、そして緑の濃い山々に囲まれた一角にその神社は鎮座していました。

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賀羅加波神社入り口。バス停を降りてすぐに立っている

カラカワ神社とは変わった名前ですが、すぐ近くにある水のない川を見れば納得がいくはず。この空っぽの「干川(カラカワ)」が社名の由来とされています。大昔、弘法大師が意地悪な住民への罰として干上がらせたという伝説があるそうです。

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干川。雨の日以外はほとんど水が流れていない

歴史は古く、平安時代中期の延喜式神名帳にはすでにその名が記されているとのこと。奈良時代の末、道鏡に追放された和気広虫が参拝したという伝承もあります。いずれにせよ、はるか古代からこの土地にあったことは間違いないようです。

境内に入ると市の文化財の大クスノキが目を引きますが、鳥居はなく、社殿や敷地自体は比較的小さなものです。夏の日差しの下、参拝客の姿もなし。神職も不在でお守り売り場もありません。それでも歴史の重みか、どこか「神さびた」雰囲気を醸し出しています。

元祖?八坂神社は小さなちいさなお社の中に

この賀羅加波神社の境内にあるお社が、あの八坂神社の本家だと伝えられています。お賽銭箱の上に置いてあった参拝客向けの文章には、以下のようにあります。

「摂社『宿里神社』は山城国祇園八坂神社の本宮であり茅輪神事の発祥であると伝えられております」

残念ながらそれ以上のことはわからないのですが、とにかく社殿の横手に回って探してみると、ありました。小さなお社(摂社)が、3つ並んで建っています。その1つが「宿里(やどり)神社」。これが、あの八坂神社の「本宮」か。

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祇園八坂神社の「本宮」?宿里神社。今は小さなお社だ

とはいえ、それはそれはとても小さなお社です。「神社」という看板がなければ、そのまま見過ごしてしまったかも知れません。実際、これまでの歴史家や研究者にも、このお社に注目した人はいないようです。

おそらく今日も観光客でごったがえしている豪壮な京都の八坂神社、そして田んぼと山を背に、ぽつねんとある宿里神社。まるでかけ離れたこの両者、本当に関係があるのでしょうか?

はるか昔、そこを神様が通った

この事情を伝える確実な文献はありません。とはいえこの話、それなりの根拠はあるようです。八坂神社の御祭神は「牛頭天王」。その名の通り牛の頭を持つ異形で、「疫病」を司るタタリ神だったとされます。

その起源は諸説ありますが、朝鮮半島で始まった信仰が瀬戸内海を通り、平安時代前期に京都・八坂神社で祀られ、全国に広まったというのが一般的な説です。

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狛犬。物言わず神社を見守っている

この賀羅加波神社がある広島県東部は、京都で信仰が始まる以前から、牛頭天王にまつわる最も古い神話が残っている土地として知られています。奈良時代に編まれた「備後国風土記」逸文にある、牛頭天王に一夜の宿を貸した貧しい家族が救われ、逆に無視した富豪は疫病で死んでしまった、という伝承がそれです。

これ自体は少し離れた福山市の伝承ですが、おそらく同様の話は(実際の疫病の経験とともに)この地方一帯に広まっていたのではないでしょうか。そして街道(中世山陽道)沿いにあったため疫病が流行りやすかった賀羅加波神社(宿里神社)周辺も、こうした伝承・信仰の拠点の1つだったのではないでしょうか。

そう考えていくと、宿里神社がイコール八坂神社の「本宮」とまではいえなくとも、その歴史の古さも合わせて考えると、ルーツの1つである可能性は十分ありそうです。

今日も小さな町を守る神様

またここからは憶測ですが、元々は宿里神社こそが「賀羅加波神社」と呼ばれていたのかも知れません。実は賀羅加波神社の名前には異説があり、「カラカワ=韓神」、つまり渡来系の神ではないか、というのです(度会延経説)。

また江戸時代の史料では、村人たちがこの神社を「大王さま」と呼んでいたことがわかります。牛頭天王は普通「天王さま」と呼ばれますが、これがいつの間にか「大王」に変わったのかも。とすれば、弘法大師と干川にまつわる伝承も、かつての牛頭天王伝説が転化したのでは――。

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大クスノキを切ろうとした者がタタリで死んだという伝承も

神木の木陰で益体もない妄想に耽っていると、近所に住んでいるらしいおじさんがお参りに来ました。見知らぬ珍客に怪訝そうに会釈をして行き過ぎ、おじさんは神社に手を合わせます。1000年前のことはもはや探りようもありませんが、今も昔もこうして、カラカワの神様がこの小さな町を守っていることは、どうやら本当のようです。

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