「日本最古の石ハネ」「加藤清正時代のものと酷似」 歴史的遺構、球磨川の堤防で「今だけ」露出中
2022.12.27 08:00
「日本最古の石ハネのようである」
国土交通省・八代河川国道事務所がウェブ上で公開している資料によると、萩原堤防で現在露出している石垣のようなものは「石刎(いしはね)」。水の勢いをやわらげて川岸を守るために作られるもので、清正が治水工事でよく用いた工法だ。
荻原堤防の石ハネも、加藤清正時代の城郭に見られるものと酷似しているという。ただ、作られたのは清正死後、息子である2代藩主・加藤忠広の時代だと考えられている。
萩原堤防は、元和5年(1619)から2年半を費やして、加藤正方が八代城築城の際に同時に完成させたと言われており、洪水から堤防を護るために「石ハネ」が施工され、現在でも残っており、日本最古の石ハネのようである(八代河川国道事務所「第3回 球磨川下流域景観デザイン検討委員会資料 萩原堤防のデザイン検討について」より。加藤正方は熊本藩加藤氏の家臣で、忠広の命で八代城築城にあたった)
当時作られた石ハネは全部で7つ。ツイッター上で注目を集めたのは、現存しているのは4つのうちの1つだ。
資料内の写真を見てみると、いずれも植物等に覆われていて、全体像がはっきりと見られる状態ではなさそうだったが......どうしてそれが、しっかり見える状態になっているのか。
Jタウンネット記者は国土交通省九州地方整備局八代河川国道事務所を取材した。