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「校訓が先か、高岸が先か。」 鎌倉殿でも大反響の「やればできる」ルーツはどこに?ティモンディの母校に聞く

大山 雄也

大山 雄也

2022.11.25 20:00
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校訓になったのは「2007年」

済美高校 によると、「やればできる」が校訓になったのは2007年。

元々は同校の8代目校長・佐々木寅義氏(編注:1988年から1998年まで校長、現校長は12代・永井康博氏)の講話の中によく登場していた言葉で、校訓になる前から校内で使われていたという。

高岸さんが済美高校に在籍していたのは2008年~2011年なので、入学したときから校訓は「やればできる」だったというわけだ。

済美高校のウェブサイトのトップにも「やればできる」が使われている(画像は済美高校のウェブサイトより)
済美高校のウェブサイトのトップにも「やればできる」が使われている(画像は済美高校のウェブサイトより)

済美高校の各教室には「やればできる」と書かれた色紙が飾られており、校長が挨拶や講話で使っているそう。高岸さんも高校生活を送る中で日常的に触れていた言葉を気に入り、持ちネタにしたのかもしれない。

OBである高岸さんが校訓を持ちネタにしていることについて、学校側ではどのように考えているのか。記者が尋ねるとこんな答えが返ってきた。

「母校を誇りに思っていることをうれしく思います」

高岸さんが使うことで「やればできる」は有名になり、生徒募集で校訓について説明したときに中学生からの反応が良くなるといったプラスの効果もあったのだとか。

高岸さんが活躍すればするほど済美高校の校訓が全国に広まっていく。母校への最高の恩返しかもしれない。

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