「校訓が先か、高岸が先か。」 鎌倉殿でも大反響の「やればできる」ルーツはどこに?ティモンディの母校に聞く
「やればできる」――この言葉を見て、ある人物の顔が思い浮かんだ読者も多いのではないだろうか。
お笑いコンビ・ティモンディのメンバーでプロ野球独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブスの選手としても活躍している高岸宏行さんが頻繁に口しているフレーズだ。高岸さんが仁田忠常役として出演していたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でもセリフとして「やればできる」が登場し、SNS上が沸き立ったことは記憶に新しい。
つまり高岸さんの「持ちネタ」である「やればできる」について2022年11月21日、人気お笑いコンビ「さらば青春の光」の森田哲矢さんが自身のツイッターアカウント(@saraba_morita)上である投稿を行い、注目を集めた。
「ティモンディの母校、済美高校でロケ。校訓が先か、高岸が先か」
という呟きとともに投稿された写真には、額縁に入れられた色紙が映っている。それには「校訓 やればできる」の文字が!
「やればできる」を持ちネタにする高岸さんの母校の校訓が「やればできる」とは......いったい、どちらが先に使い始めたのか。Jタウンネット記者は11月25日、済美高校を取材した。
校訓になったのは「2007年」
済美高校 によると、「やればできる」が校訓になったのは2007年。
元々は同校の8代目校長・佐々木寅義氏(編注:1988年から1998年まで校長、現校長は12代・永井康博氏)の講話の中によく登場していた言葉で、校訓になる前から校内で使われていたという。
高岸さんが済美高校に在籍していたのは2008年~2011年なので、入学したときから校訓は「やればできる」だったというわけだ。
済美高校の各教室には「やればできる」と書かれた色紙が飾られており、校長が挨拶や講話で使っているそう。高岸さんも高校生活を送る中で日常的に触れていた言葉を気に入り、持ちネタにしたのかもしれない。
OBである高岸さんが校訓を持ちネタにしていることについて、学校側ではどのように考えているのか。記者が尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「母校を誇りに思っていることをうれしく思います」
高岸さんが使うことで「やればできる」は有名になり、生徒募集で校訓について説明したときに中学生からの反応が良くなるといったプラスの効果もあったのだとか。
高岸さんが活躍すればするほど済美高校の校訓が全国に広まっていく。母校への最高の恩返しかもしれない。