なぜ取り壊されないの? 鳥取にある「通行止め」の古い橋が、いつまでも残り続けている理由
偶然の出会いが研究への道を拓いた
米子力研究所さんは、昭和の時代から薮津橋の存在を知っていたが、特に興味は持っていなかった。しかし、2016年にたまたま薮津橋に立ち寄った際にある物を見つけてしまったことで意識が変わる。
「橋の下にさらに古い橋の遺構があることに気づいて、興味を持ちました」(米子力研究所さん)
橋の下にある、古い橋。それは一体、何なのか。この発見をきっかけに、米子力研究所さんは薮津橋の歴史を調べ始める。最初はインターネット上で情報収集を行ったが、決定的な情報が見つからなかった。
そこで図書館で郷土史を読み、現地で記述の妥当性を確認し、さらに別の書誌にあたり......という作業を何度も繰り返したという。
その結果わかったのは、現在の「藪津橋」は2代目で、その下にあった以降は初代の藪津橋だということ。現存する写真などと見比べて「間違いない」と判断したそうだ。
そして米子力研究所さんは現地調査をくり返すうちに、2代目薮津橋や初代藪津橋の遺構から20メートルほど下流の離れた位置にまた別の遺構も発見。それらが何のために使われていたものなのかも丁寧に調べていった。