「すごく耽美」「小説の舞台になりそう」 熊本の山奥にひっそり佇む「白昼夢のような館」の正体は...
当初別の場所に建てるつもりだった
そもそも「森林館」とは何か。その答えを知るためには「球泉洞」という鍾乳洞について知る必要がある。
球泉洞は全長4.8キロに及ぶ鍾乳洞で、1973年3月に発見された。
「球泉洞は3億年もの時をかけて自然がつくりだした地球の記憶であり、ゴウゴウと音をたてて流れる豊かな水があふれています。山林に降りそそいだ雨が地中にしみこんで作られた『地底の滝』で、それが球磨川に流れ出しています」(球磨村森林組合担当者)
この鍾乳洞が発見されたとき、「森林館」の構想も生まれた。
「(球泉洞の発見により)ふだん目にすることのない森林と地底の関係を目のあたりにして、清らかで豊かな球磨川の水は、私たちが育てている森林に源を発するのだという確信をもったのです」
「球泉洞が『森と水のかかわりを実感できる自然の博物館』であるとすれば、『水を生みだす森林、その森を守り育てている林業』の役割をわかりやすく伝えられる博物館をつくりたい。日本の森林・林業の振興に少しでも役だちたい。その夢を実現したのが『森林館』です」(球磨村森林組合担当者)
「森林館」の総合プロデューサーを務めたのは、日本で行われたすべての万博に参画した環境デザイナー/プロデューサーの故・泉眞也氏。磨村森林組合が懇意にしていた故・森田稲子氏(日本の林業振興の第一人者、雑誌「日本の森林を考える」発行者)から紹介されたことがきっかけだった。
森林館が立つ場所を決めたのも、泉氏だ。当初は国道に面した山側の駐車場が候補地だったが、現地を見た泉氏が、こう言った。
「球磨川の流れを享受するのも森林館の役割です」