2022年=明治155年? 頑なに「改元」しない明治村の姿勢に反響→実は深い理由があった
2019年5月1日に「平成」から「令和」へと元号が代わってから、まもなく丸3年。書類に「令和」と書くのにももうすっかり慣れた。
しかし、日本の中にはいまだ新しい時代になりきれていない場所も存在するようだ。
こちらは、中国地方在住のツイッターユーザー・ゐまち(@imachiCSN)さんが2022年4月4日に投稿した写真。白い文字で「明治村」と書かれた木製の看板。その上部の日付を見てみると
「明治155年4月4日」
となっている。日本で新暦を使い始めた明治6年は1873年なので、明治155年というと......2022年。
まさか、元号が「大正」にも「昭和」にも「平成」にも「令和」にも変わらず、ずっと明治時代が続いている世界の看板なのか!?
「ぶれない博物館であり続けてくれたんだなあ」
Jタウンネット記者の取材に応じた投稿者・ゐまちさんによると、話題の看板があったのは愛知県犬山市の郊外にある、明治時代の建築物などが保存展示された野外博物館「博物館 明治村」。
3日から名古屋に1泊2日の1人旅をしていたというゐまちさんは4日の午前中に明治村を訪問し、同館の正門入口近くで撮影したのだという。
「明治村へ訪れたのは、コロナ禍前に来たとき以来、4年ぶり2回目になります。
明治村は何十軒、何十点もの膨大な近代建築や産業遺産が展示公開されているのですが、1回目では半分かそれ以下の展示しかみることができなかったので、残りの展示も制覇したいと思い再び訪問しました」(ゐまちさん)
4年ぶりに明治村の正門を通ったゐまちさんは、前回見た「明治が続いているの看板」のことを思い出し、真っ先に看板の元へ。
「4年前初めて訪れた時と変わらない様子を見て、コロナ禍の中でもここはぶれない博物館であり続けてくれたんだなあと嬉しくなりました。明治160年の年にはまた訪れたいと思います」(ゐまちさん)
それにしても、どうしてずっと元号が「明治」表記のままなのだろうか。その理由を知るべく、Jタウンネット記者は明治村にも話を聞いた。
込められたのは「温故知新」の精神
同館の学芸・催事担当(広報担当)の反端一也さんによると、看板が明治村正門付近に設置されたのは元号が平成だった時のこと。ただ、設置した当時の資料が残っておらず、何十年もの間設置されている、ということ以外はわからないそうだ。
また、それ以前にも同じような看板が存在していたが、現在は保管しておらず、いつから設置されていたのかも不明。
ただ、いずれにしても「元号の表示は常に『明治』だった」と反端さん。
そこには、明治村の思いが込められているのだという。
「明治時代は、政治や教育、文化など、あらゆる面で私たちが生きる『今』の礎が築かれた時代です。現代の私たちのルーツともいえる明治時代を知ると、自分の未来にとって有益な気づきを得られることがたくさんあります。一言で言うと、『温故知新』です。
明治と『今の自分』とのつながりを意識して欲しい、という思いを込めて、看板の元号を『明治』にしています」(反端さん)
忙しない令和の時代を生きている読者の皆さんも、たまには遠い明治時代に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
反端さんの言う通り、何か思いもよらない発見や気付きが得られるかもしれない。