島民でも分からない? 「与那国語」で書かれた食育標語が難解すぎてもはや呪文
新型コロナの影響で大学に戻れず、島で過ごす日々
東盛さんは、与那国語辞典で調べたり、祖父や島の人、母や親戚に聞きながら与那国語を学んでいる。
標語を考えた中学生時代は、与那国語を話す祖父と、それに日本語で答える母の会話を聞いて耳に馴染みはあったが、今ほど理解はできていなかったという。それを今、詳しく説明できるのは熱心な勉強の成果だ。
「私は今、コロナの影響で大学を通ってる場所に帰れず、地元である与那国で祖父と2人暮らしをしています。
その間、改めて島の歴史や自然や生き物、地形、言葉を勉強しています。中学生まで島にいたのに、この歳になってもまだまだ知らない事はたくさんありました。それで最近は皆に与那国島の事を知って欲しくて島関連の事を多くツイートしています」
と東盛さん。与那国での生活を記録した映像も撮影し、公開している。映像では祖父が与那国語で東盛さんに話しかける場面もある。これも、東盛さんが与那国語を学んだからこそ実現したシーン。
「祖父は、昔は私に対して日本語ばかりでしたが、最近私が理解してると思って与那国語と日本語半々で話してきます。与那国語で話してる時に分からないと、聞き返せば日本語で教えてくれます」(東盛さん)
映像での二人の会話はあたたかく、やさしい響きだ。
孫が自分の言葉を学んでくれる、受け継いでくれる、というのはお祖父さんにとってどれだけ喜ばしいことだろう。消滅の危険があると言われている言葉ならばなおさらだ。
東盛さんのような若い世代の人々によって、与那国語が生きた言葉として継承されていくことを願わずにはいられない。