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83歳筆者が考える「つり革に触れたくない人たち」...清濁併せ呑むのが、長生きの秘訣ですよ

ぶらいおん

ぶらいおん

2017.01.31 11:00
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完璧な清浄状態は、かえって望ましいことではない

「つり革?」
「勿論、掴みますよ。」

   だって、立ってるとき、急に電車が急停車したりしたら、どうなります?特に、筆者のような(準)では無く、(真性)コレラならぬ、"真性高齢者"の場合はね。自分も怪我するだろうし、他人様にも迷惑掛けることになるでしょうからねぇ...。

   いや、別に歳をとる前からでも...、そうですね、多分、4-50年前のサラリーマン生活中、東京の西の方に位置する自宅から京王線を利用して都心のオフィスに通っていた頃でも、この私鉄の朝の通勤ラッシュと言ったら、それは酷いものでしたよ。

   今でも、忘れはしません。やっと誂えたばかりのスーツを着込んでラッシュ時の混雑を耐えること、2-30分、特急電車が新宿に到着するまで、どういう訳か?発車時、停車時には電車の運動の慣性で、立っている乗客の集団も、前後に大きく波打ったように揺れるのです。この揺れに耐えるため、つり革を確り握って、足を踏ん張り、流されまい、と抵抗すると、ぴったり背中にくっついている、つり革を握っていない群衆だけが、電車の進行方向に沿って、前後に行ったり来たり運動するのです。

   見ず知らずの他人と身体を接触するのが、不快で、いつもこの間は、何か拷問か?嫌がらせを受けているようで、筆者は汗を掻きながら、最大限に抵抗し、この揺れに抗うように、自分の姿勢を保つために最大限の努力をしていました。

   ところが、ある駅での発着時に、特に群衆の揺れが大きかったとき、他人の身体に押しつけられた筆者の背中のスーツの裏地がビリビリと裂けてしまったことがあったのです。

   この時ほど、しがないサラリーマンの身を情けなく感じたことはありません。これが会社役員の専用車とまで行かなくても、本部長クラスになれば、(当時の筆者の会社では)ハイヤーによる通勤が認められていました。

   それを機に、筆者は、何か対応策を講じましたか?と問わゝれば...。

「早く出世して、そのような身分になれるよう一心不乱に努力した?」

「それは、実は、ノーです。」

   このような、或る意味では『家畜以下の扱い』(家畜輸送車の方が、余っ程マシですよ。だって、商品の家畜たちが傷つかないように、もっと、ずっと配慮されていますからね。家畜は、そんなに詰め込んだりしやしません。)という状態を脱するため、筆者は、独立することにしたのです。フリーランスの技術翻訳者になりました。

   自由業、自営業というのは、そりゃあ大変です。どこからも支えられているわけではないし、また何の保証もありませんからね。

   でも、その代わりに、そこには、掛け替えのない自由があります。

   自分のやりたいような、やり方で仕事を進めることが出来るんです。

   それで、筆者はラッシュ時通勤の苦痛を排除することが出来ました。つまり、そんな時間帯には電車に乗らないことにしたのです。

   そうしたことを自分で決められるところが最高ですよ。

   座席に座って通勤なり、営業なり出来るようになれば、「つり革」は触る必要がずっと減ります。

   それでも、立っている際は、筆者は原則として「つり革」を保持します。

   「つり革」に触れることに、全く無頓着か?と問われれば、「正直、そんなことはありません。」私の前に、何処のどなたが触れたか?分かりゃしませんからね。

   だから、その頃の筆者の「つり革」の握り方は、握り手の丸い部分では無く、その上の吊り手の部分を握るというものでしたね。今でも、そんな握り方をしている人を見掛けたりしますよね。

   でも、それで問題が解決する、ということもまた、ありませんよね。確率的には、吊り手の部分を握る人は、どちらかと言えば、先ず、少ないでしょうから、もし、そこから接触感染する恐れがあるのだとすれば、その確率は、正式な「つり革」の握り方のケースより数値的には低くなるはずです。

   だからと言って、それで完全な問題解決、ということにも、当然なりません。

   筆者の見解は、元々そんなことで思い悩んでも、余り意味が無いということです。そんなことで、問題が消失しやしませんからね。

   それより、必要なことは、外出先から帰宅したら、先ず、洗面所で、よく手を洗い、ちゃんと嗽(うがい)することです。

   そもそも不特定多数の人々が参集するような場所には、細菌やウィルスが、うようよ存在していて当然ですし、人々がよく触ったりするような物(無論、「つり革」もその一つです。)にも、少なからぬ、その種の"ばっちい"生き物が付着しているのが当たり前です。

   それらを完璧に回避することなど、元々無理な話だし、また、限度を超えて、そんなことをしては「いけない」とさえ、言えるらしいです。

   ドキュメンタリー番組で、「ミクロの世界」というのを観たことがあります。

   それによれば、生きている人間の身体には、様々な細菌、様々な微小生物や、様々な寄生虫が住み着いている、というのです。そして、それらは必ずしも宿主の人間を害するものばかりでは無く、むしろ、居なくなってしまったら宿主の方に障害が生じたりして困るものさえ、少なくないのだそうです。

   古くなったり、死んでしまった、人間の組織などをきれいに清掃してくれたり、外からの病原菌に対する免疫力を高めてくれたりするものまで、排除してしまうと、却ってその人間の抵抗力や対抗力を弱め、新たな疾病のもたらされることが現実に起こったりしているようです。

   不自然なまでに、完璧な清浄状態を作り出すことは、決して望ましいことでは無く、そんなことをすると、その反動が逆にヒトの健康や、正常な成長を妨げる結果となるということは、科学的に知られた常識のようです。

   >従って、病的な清潔さを求めたり、必要以上に「つり革」の汚染を回避しても、余り意味は無いのではないでしょうか?

   それより、ノロウィルスやインフルエンザウイルスが、人が外出して、色々なものと接触した結果、自分の意図に反し、付着してしまったかも知れない手や、喉を洗ったり、うがいして、それらを排除するための習慣を、確り自分や子供達のために徹底させることこそ、最も現実的な対応策だ、と筆者は考えるのです。

   似たような例について、ちょっと付け加えると、何年か前に、何人かの同好の士と共に、とある居酒屋に入った時のことです。いいご機嫌になりかけたとき、一人の女性がカウンターの隅をゴキブリが走り抜けたのをみて、声を上げると共に、もう、その後は料理などに手を付けるのを「嫌だ」と言い始めました。

   そりゃ、誰でも、そんな状況を歓迎する気は無いでしょうが、筆者は別に箸を止めることも無く、平気で飲食していたところ、件(くだん)の女性が「気にならないのですか?」と声を掛けて来たのです。

   その時の筆者の答えはこうです。「そんなこと一々気にしていたら、外食なんて出来ませんよ。」「ゴキブリなんか、外から飛んで来ることもあるし、自分で最初から最後まで目を離さずに、作った料理ならいざ知らず、それ以外は偶々目についたから、と言って気にしていても始まりませんよ、自分の知らないところで、どんなことが起こっていたか?分かりゃしませんからね。」

   実際、そうでしょ。単に「知らぬが仏」ということですよ。無論、ちゃんとした店では、最大限の努力は払っているでしょうし、保健所の目も光っているでしょうから、我が国の外食店は先ず、安心してよい、とは思います。

   それでも、無菌室で完全滅菌状態の食事を摂るのとは、わけが違いますよね。

   一般的な状況で、食事を摂れば、室内の空気中からでも、目に見えないような塵や微小生物が、容器に盛られた食事の上にも、たとえ微量なりとも降り注いでいるに違いないことは、先ず否定できないでしょう。

   だからと言って、人体に直ちに悪影響を及ぼすような心配など、先ず無い筈ですよ。

   筆者が言いたいのは、「余り意味の無いことに、つまらない神経を使ってばかり居れば、そのことが、或る種のストレスとなり、却って人体に害を及ぼすことになりかねませんよ。」と言うことに尽きるのです。

   「政治」はクリーンであることが望ましい。ところが、実際は、そんな状態には、ほど遠いように思われますよね...。

   其はさておき、市井の人々の生活では、「清濁併せ呑む」という生き方が、最もストレスフリーで、マイペースで行ける、言ってみれば、一種の技(わざ)ですよ。

   そういうことが、結局、健康をもたらし、長生きする秘訣でもある、と筆者は考えて居ます。

   我々が生きている、この世界は、完璧にクリーンな環境には無く、多かれ少なかれ汚染されている、と言わざるを得ません。

   だからと言って、別に絶望するには当たりません。そんな世界でも、確りした手順を守って、必要な対応策さえ確保していれば、恐るるに足りません。

   たとえ、望ましくない細菌やウィルスが多少、付着した「つり革」を握ったとしても、手洗いやうがいなどを、ちゃんと行えば、健康体なら何も恐れることは無い、と考えます。

   繰り返しになりますが、「つまらないことは気に病まない、ストレスフリー」の生活態度こそ、健康の基本ですよ。余り権威は無いかも知れぬが、それは83歳まで、こうして生きている筆者が保証しますよ。

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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になってから、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、105歳(2016年)で天寿を全うした母の老々介護を続けた。今は自身も、日々西方浄土を臨みつつ暮らす後期高齢者。https://twitter.com/buraijoh
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