秋葉原の謎...万世橋の「小部屋&船着き場」は何のために作られた?【後編】
いつしか忘れられて、そして今
だが、その輝かしい時代はそう長くは続かなかったようだ。
「船着き場と小部屋が、いつまで使われていたかは定かでありません。戦争をはさんだこともあり、情報がわからなくなってしまった部分もあります」(鶴見さん)
千代田区によると、南東側のスペースをふさぐ公衆トイレは、建て替えのスパン(だいたい20年に1度程度)などを考えると、昭和40~50年代ごろにはこの場所にあった可能性があるという。ただ、現在のトイレが建った1986年以前は、都がこの土地を管理していたため、詳しい経緯がわかる資料は見つからなかったそうだ。いずれにせよ昭和40年(1965年)ごろには、船着き場も小部屋も無用の長物と化していたらしい。
関東大震災前には都内屈指の繁華街だった万世橋周辺も、橋が竣工したころにはすでに勢いを失っていた。積み荷を載せた船が川を行き交う光景も、自動車などの普及とともに姿を消していき、貨物基地だった秋葉原も戦後は電気街へと変貌。いつしか船着き場と小部屋は、人々から忘れられていったのだろう。
だが、その船着き場を、改めて活用しようという動きもある。秋葉原~羽田空港を結ぶクルーズツアー就航を、国交省などが企画しているのだ。外国人観光客などもターゲットに、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて準備が進んでいるのだが、その発着点として予定されているのが、この万世橋北東側の船着き場なのである。2015年9月には、乗客を募っての試験運航も行われた。
85年の時を経て、目的は大きく変わるが、いつか謎が謎でなくなり、「川の駅」が復活する日が来る――かもしれない。