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秋葉原の謎...万世橋の「小部屋&船着き場」は何のために作られた?【後編】

竹内 翔

竹内 翔

2015.10.21 06:01
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秋葉原のランドマークの1つ、万世橋。その謎は明らかになるのか
秋葉原のランドマークの1つ、万世橋。その謎は明らかになるのか

秋葉原駅の近くにある「万世橋」。そのたもとになぜかある、使われていない船着き場と、小部屋。Jタウン調査隊が、その正体を探る。

前編はこちら

書籍などでは「トイレ」「地下鉄工事の名残り」などの説が紹介されており、探検隊もこれらを軸に調べを進めた。

本当にトイレなのか?
本当にトイレなのか?

ところが、ここで調査は行き詰まりを迎える。というのも、戦前~昭和期の地図などを探索したが、トイレの存在を示す資料や、地下鉄工事との関係を立証できるデータが見つからないのだ。

悩んでいた折、お話を聞くことができたのが、国土交通省・東京国道事務所万世橋出張所の鶴見剛さんだ。万世橋の歴史について、これまでいろいろと調べてきたという。

トイレ説・地下鉄説に浮かぶ疑問

「結局のところ、明確な理由はわからないんですが......」と前置きしつつ、船着き場誕生の経緯を、鶴見さんはこう推測する。

「昭和初期は、運河を使った水運が輸送の中心でした。当時の写真を見ると、銀座線工事の物資も、神田川を舟で運んでいたようです。とすれば、『船着き場』を橋に作る、というのは、設計者にとって『当たり前』の発想だったのではないでしょうか」
『東京地下鉄道史』より、現在の銀座線工事の様子。工事中に川をふさぐことを避けるため、箱型の樋を沈めて、臨時の水路とした
『東京地下鉄道史』より、現在の銀座線工事の様子。工事中に川をふさぐことを避けるため、箱型の樋を沈めて、臨時の水路とした

なるほど――では、小部屋は何だったのだろうか。

「これもあくまで想像ですが、船着き場に合わせて、橋のデザイン上の理由から設けたのでは。船着き場の監視係や荷下ろしなどを行う人たちが駐在する場所、いわば『川の駅』とでも言うべき場所として機能していたのかもしれません」

えっ、トイレや地下鉄工事との関係は......?

「排水などを考えれば、昭和初期当時の技術からすると、位置的にトイレとして使うことは難しかったと思います。少なくとも、デザインした時点でそうした使い道を思いついていたのかはわかりません」

確かに......。それによく考えてみれば、当時はすぐ近くに万世橋駅もあったわけだから、無理にトイレを作る必然性もなさそうだ(のちに用途が変更された可能性は残るが)。

「地下鉄工事との関連にしても、トンネルを作り終わってからその上に橋を架けたことを考えると、どうしても矛盾すると思います」
前編にも掲載した模式図(『東京地下鉄道史』より)。トンネルの上に橋が乗っていることを考えると、「工事のために橋にスペースを作った」説は確かに矛盾がある
前編にも掲載した模式図(『東京地下鉄道史』より)。トンネルの上に橋が乗っていることを考えると、「工事のために橋にスペースを作った」説は確かに矛盾がある
なお、橋の両岸にこれらの小部屋・船着き場がある理由については、「水運が盛んだった時代なので、『川からの美観』を意識したのかもしれません。近くにある万世橋駅や東京駅をはじめ、当時はルネサンス建築が盛んでしたから、行き交う船から、左右対称に見えるようにしたのではないかと推測できます」(鶴見さん)
なお、橋の両岸にこれらの小部屋・船着き場がある理由については、「水運が盛んだった時代なので、『川からの美観』を意識したのかもしれません。近くにある万世橋駅や東京駅をはじめ、当時はルネサンス建築が盛んでしたから、行き交う船から、左右対称に見えるようにしたのではないかと推測できます」(鶴見さん)

帝都の水運基地・秋葉原

鶴見さんは「川の駅」説はあくまで想像だと強調するが、万世橋が当時、水運の大きな拠点であったことは間違いない。

『日本地理風俗大系』より。1930~31年ごろの万世橋。右端の方には、船着き場や小部屋などがあることも確認できる
『日本地理風俗大系』より。1930~31年ごろの万世橋。右端の方には、船着き場や小部屋などがあることも確認できる

探検隊が発見したのは、『日本地理風俗大系』第2巻(新光社、1931年)に収録されている1枚の写真だ。万世橋完成直後のこの写真には、

「万世橋付近は水運に陸運に交通の頻繁至便な地点である。(中略)水運は秋葉原の貨物駅を近くに有するため神田川によって船が上下し貨物運輸の水運連絡をはかっておる」(原文は旧字旧かな)

とのキャプションがある。当時、都内物流の一大拠点的存在だった秋葉原と、神田川の水運を結ぶ好立地だったことを考えると、万世橋の船着き場(と小部屋)が活躍した可能性は大いに考えられる。

いつしか忘れられて、そして今

だが、その輝かしい時代はそう長くは続かなかったようだ。

「船着き場と小部屋が、いつまで使われていたかは定かでありません。戦争をはさんだこともあり、情報がわからなくなってしまった部分もあります」(鶴見さん)
万世橋の公衆トイレ。実はこの中に、ふさがれたスペースへの入り口があるのだが、一般の人間が入ることを想定して作られておらず、危険も大きいため、取材も含め立ち入りは断っているという
万世橋の公衆トイレ。実はこの中に、ふさがれたスペースへの入り口があるのだが、一般の人間が入ることを想定して作られておらず、危険も大きいため、取材も含め立ち入りは断っているという

千代田区によると、南東側のスペースをふさぐ公衆トイレは、建て替えのスパン(だいたい20年に1度程度)などを考えると、昭和40~50年代ごろにはこの場所にあった可能性があるという。ただ、現在のトイレが建った1986年以前は、都がこの土地を管理していたため、詳しい経緯がわかる資料は見つからなかったそうだ。いずれにせよ昭和40年(1965年)ごろには、船着き場も小部屋も無用の長物と化していたらしい。

関東大震災前には都内屈指の繁華街だった万世橋周辺も、橋が竣工したころにはすでに勢いを失っていた。積み荷を載せた船が川を行き交う光景も、自動車などの普及とともに姿を消していき、貨物基地だった秋葉原も戦後は電気街へと変貌。いつしか船着き場と小部屋は、人々から忘れられていったのだろう。

万世橋の船着き場が発着基地となった船便の試験運航の様子(2015年9月撮影。J-CASTニュース提供)。珍しい光景に、多くの見物人が集まった
万世橋の船着き場が発着基地となった船便の試験運航の様子(2015年9月撮影。J-CASTニュース提供)。珍しい光景に、多くの見物人が集まった

だが、その船着き場を、改めて活用しようという動きもある。秋葉原~羽田空港を結ぶクルーズツアー就航を、国交省などが企画しているのだ。外国人観光客などもターゲットに、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて準備が進んでいるのだが、その発着点として予定されているのが、この万世橋北東側の船着き場なのである。2015年9月には、乗客を募っての試験運航も行われた。

85年の時を経て、目的は大きく変わるが、いつか謎が謎でなくなり、「川の駅」が復活する日が来る――かもしれない。

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