「辺鄙な山奥で見つけた老夫婦が営む飯屋。金を持っていなかった私は、他の客がいなくなるまで待ってから...」(兵庫県・50代男性)
シリーズ読者投稿~あの時、あなたに出会えなければ~ 投稿者:Sさん(兵庫県・50代男性)
25年ほど前、トラックドライバーだったSさんは困窮した生活を送っていた。
その日はお腹が空いていて何か食べたいと思っていたが、ポケットには50円ほどしかなくて......。
25年くらい前、極貧だったトラック運転手時代のことです。父が残した借金を返すために、稼いでは支払ってのいたちごっこの生活でした。
その日食べるお金も無いのですが、内職を頑張ってくれている嫁にお金貸してと無理も言えず、所持金わずか200円くらいで生活を送る日々。会社に前借りしたりして、しのいでいました。
残された道は死ぬか、奇跡を信じてお金が落ちていないかという状況でした。
「50円しかありません」
その日、東京で積んだ荷物を奈良の少し辺鄙な山奥まで届けました。荷物を降ろし終わる頃にはお腹が空いていて限界。少し走るとトラックを停められるスペースがあり、トイレもあったので、そこで休もうかと止まりました。
そこで目を引いたのは「めし」と書かれたのれん。ポケットには50円くらいしかなく、でも食いたい。店の前を行ったり来たりして、お客さんがいなくなるまで待ちました。そして恥を忍んで
「すみません、50円しかありません。
小さなオニギリでかまいません、作っていただけないでしょうか」
とお願いしたのです。
爺ちゃんと婆ちゃんが経営する店でした。「まあまあ、作りますよ」と優しく言ってもらえました(涙)。
そして、出てきたのはサバの煮付けでした。
「え!」と驚いていると、「残り物だけど食べなさい」と婆ちゃん。
そして今度は厨房の奥から爺ちゃんが「できたよ」と言って、目の前に中華そばを運んできました。 さらにポテトサラダにどんぶり一杯のご飯まで(涙)。「お金がありません」と伝えると
「冷めないうちに食べてちょうだいな」
見ず知らずの自分にここまでしてくれるなんて......。初めて「情け」を知りました。人の優しさを知りました。言葉もないまま、涙が止まりませんでした。
今まで負けてたまるかと堪えてきましたが、一気に溢れ出てしまったのです。
再び訪れると...
帰り際、2人は私におにぎりを持たせてくれました。
「すぐに返しに来るから」というと、「いつでもええよ」とのこと。
一か月後、俺はお金と手土産を持ってお店に行きました。
定休日だったのか、お店は閉まっていました。それからしばらく期間が空き、お店に行かないと思いながらも、それまで以上に死に物狂いで働いていました。
その結果、何とか立て直すことができ、トラックを降ることに。縁があった会社でサラリーマンとして働き、役員職まで登り詰めました。
我が家ではこの話が語り草で、一日もあの時の御恩は忘れたことがありません。
あれから25年、あの時のサバの煮付け、中華そば、ポテトサラダ、それと爺ちゃん、婆ちゃんにもう一度会いたい......。
2人は2010年にお亡くなりになられたそうです。子供たちを連れてお店に行った際、すでに閉店していましたが、ご家族にお話を伺いました。
あの時はこんな俺を助けていただいて本当にありがとうございました。
あの御恩があったから、爺ちゃん婆ちゃんに励ましてもらえたから、死なずに今日まで頑張れました。
天国まで届きますように。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
Jタウンネットでは読者の皆様の「『ありがとう』と伝えたいエピソード」を募集している。
読者投稿フォームもしくは公式ツイッター(@jtown_net)のダイレクトメッセージ、メール(toko@j-town.net)から、具体的な内容(どんな風に親切にしてもらったのか、どんなことで助かったのかなど、500文字程度~)、体験の時期・場所、あなたの住んでいる都道府県、年齢(20代、30代など大まかで結構です)、性別を明記してお送りください。秘密は厳守いたします。
(※本コラムでは、プライバシー配慮などのため、いただいた体験談を編集して掲載しています。あらかじめご了承ください)