たった1つしかない「自撰自筆の石碑」が、なぜ埼玉の片隅に? 文豪・芥川龍之介が褒め称えた人物とは
芥川龍之介直筆の碑文が刻まれた石碑は、日本にたった一つしかないと言われている。
そしてそれは、埼玉県の片隅にひっそりと佇んでいるらしい。
ここは根金稲荷(ねがねいなり)神社。市の玄関口であるJR蓮田駅から車で15分ほどの場所にある。
日本を代表する文豪の1人である芥川にまつわる超貴重な石碑があるらしいにもかかわらず、Jタウンネット記者が訪れた2022年12月25日16時30分ごろ、周囲には(付近の道路にさえ)誰もいなかった。周囲を畑に囲まれた、ただただ静かな神社があるだけだ。
あまりにもシン......としていて本当にこの場所で合っているのかと心配になってしまったのだが......それは、境内で記者を待っていた。
芥川、25歳の時
これが、唯一と言われる「芥川龍之介による自撰自筆の碑文」、つまり、芥川自身がこれのためだけに自ら書いた文章が刻まれている石碑だ。
字はかなり薄れており、読めない部分もある。蓮田市の公式ウェブサイトによると、碑文が刻まれたのは芥川が25歳だった1917年。短編集「羅生門」が出版された年である。
ところで、芥川とこの場所には、何の関係があるのだろうか。
芥川は東京で生まれ、下町で育った。大学も東京で、その後一時神奈川県に住んでいたころもあったが、数年でまた東京に戻っている。蓮田市に住んでいた、というような記録は見つからない。
Jタウンネット記者は、市の教育委員会に聞くことにした。
「正直の頭に神宿る」という言葉がピッタリの「感心な人」
そもそもこの石碑には、何が書かれているのか。蓮田市は公式ウェブサイト上で、碑文の読み下し文を公開している。その一部を引用しよう。
「正直の頭に神宿るとはかう云ふ人の事でありませう
この感心な人と云ふのは明治十七年四月十日埼玉縣南埼玉郡平野村字根金に生まれた廣庵関口平太郎君の事であります」
「関口平太郎」という人のことを「感心な人」と称えている。何者なのか。
碑文には、それも記されている。関口は1884年に根金村(現在の蓮田市)で生まれた人物で、1906年から現在の東京都新宿区で、あん摩業を営んでいた。「生まれつき情深い人」で、1905年に東北地方が大飢饉に襲われた際には小学生たちに学用品を送った。また、東京に出てからは一身に仕事に励み、1916年には平野村(現在の蓮田市)と岩槻町(現在のさいたま市)の子供たちの就学奨励資金を寄付したそうだ。
蓮田市教育委員会・生涯学習部社会教育課の職員によると、芥川は関口の患者だった。
そして、地元の人々が関口の功績を後の人々に伝えるための顕彰碑を、彼の郷里である根金神社の境内に建てることに決めた際、芥川に碑文を依頼したそうだ。