「婆さんと爺さんが追剥ぎにあって殺されて...」 超不穏な伝説を持つ「子授け地蔵」が謎すぎた
「子授け地蔵」とは結局、何だったのか
遊歩道を進んだ先で筆者を待っていたのは......金ぴかに輝く大きなお地蔵様だった。まぶしいぜ。
だがこの地蔵、看板に書いてあったように抱けるシロモノではない。そもそも、作りも石っぽくない。
これが「子授け地蔵」? 伝説にある「抱ける石仏」というのは、どこ? 改めて敷地内を散策したが全くわからない。
そこで7月13日、茨城・石岡市商工観光課の担当者に抱き石はどこにあるのかを聞いてみた。すると、衝撃の答えが......。
「木札を奉納する場所の辺りに石のお地蔵様が点在していたと思うのですが、『あれら』が抱き石だと言われています」
なんと、筆者も抱き石に遭遇していたのだ。しかも、複数。そんなにあちこちにあるとは思わないよ......。
こうなってくると気になってくるのが、あの金ぴかのお地蔵様。抱き石の伝説と関係ないし、なぜあんなものがあるのか。
「実はあの金のお地蔵様のことはよくわからないんです......」(石岡市商工観光課の担当者)
一番目立つやつなのに、一番存在が謎ってどういうこと!? もはやあの金ぴかが「子授け地蔵」なのか抱き石たちをまとめて「子授け地蔵」と呼ぶのか、皆合わせて「子授け地蔵」なのかもわからない。
商工観光課の担当者もどれが「子授け地蔵」なのかは「把握していない」とのことだった。
ただ、駐車場の出入口には、こんな立て看板も。
これだけ見れば金ぴかが「子授け地蔵」のような気もしてくるが......。
謎が謎を呼ぶ――霊峰・筑波山の目と鼻の先には、不思議すぎるスポットが存在していた。