海のほとりにひっそり佇む、世にも珍しい「青い鳥居」 どうしてこんな色になったの?知られざる歴史に迫る
船底用の青い塗料を使った?
港神社の鳥居は、なぜ青いのか。記者はまず延岡市役所や市役所の東海町支所、市の観光協会に尋ねてみたが、有力な情報は得られなかった。
そこで、地元で暮らす人の中に詳しい人がいないか調べていると、東海町の歴史や町内の神社仏閣などの史跡についての情報を、「我が郷土 東海」という1冊の冊子にまとめている人物を発見。
22年3月まで東海町の奥東海地区の区長を務めていた太田五生(いつお)さんだ。
太田さんの冊子の中で、港神社については次のように記述されている。
「港神社は延岡藩主三浦明敬公が元禄13年(1700)東海神社の場外末社(本社の境内以外にある小社)として住吉神社(大阪の住吉大社)の分霊を勧請(霊を移して祭る)したのに始まる」(「我が郷土 東海」より抜粋)
航海の安全や大漁を守るとされる海の神「住吉三神」を祭神とし、延岡藩主は参勤交代のために関西へ出航する際には、港神社や本社である東海(とうみ)神社で、神官が航海の無事を祈願する行事「御船送り」を行っていたらしい。
しかし、鳥居については記述がない。そこで23日、記者は本人に電話で聞いてみることにした。
太田さんによれば、神社が建てられたのと同時期に、お社の近くに木製の鳥居が一つ建てられた。ただ、最初は何も色が塗られていなかったという。
「時期は不明ですが、その後『海辺の近くにある鳥居だから赤ではなく青色がいいんじゃないか』ということで、当時船の船底の塗料に使われていたもので青く塗った、という由来だと思います」(太田さん)
最初の一つだけでなく、時代が流れていく中でいくつか新しい鳥居も奉納されていったが、いずれも最初の1つにならって青色になっているとのことだ。