海のほとりにひっそり佇む、世にも珍しい「青い鳥居」 どうしてこんな色になったの?知られざる歴史に迫る
神社の鳥居といえば、朱色のものを思い浮かべる人がほとんどだろう。
しかし、中にはこんな珍しい色をした鳥居も存在する。
こちらは、九州在住のツイッターユーザー・埋火(@akeyoake)さんが2022年6月22日に投稿した写真だ。山を背景にひっそりと建っている小さな神社。その前の階段と少し離れた位置には、赤ではなく青く塗られた鳥居が並んでいる。
埋火さんが「青い鳥居」を発見したのは、5月の初めごろ。場所は宮崎県延岡市東海(とうみ)町の海岸にある港神社。まさに、海の目の前にある神社だ。
「宮崎に住んでいる親戚に『この付近に何やら変わった鳥居がある』と聞いてやってきました。
現地には目立った案内板もなく、半信半疑で海辺の道沿いをウロウロしていると、親戚の話の中で出てきたようなそれっぽい場所にたどり着きました。
そして海に続く道を降りると、明け方のひっそりと静まり返った暗い入り江の奥のほうで、鳥居の青色が浮かびあがっていたので、これが例の場所なんだと思いました」(埋火さん)
普段と見慣れない色なだけで「こうも印象が変わるんだと驚きました」という埋火さん。朱色の鳥居ばかり見てきたためにずっと違和感が拭えず、夢の中の光景にしか思えなかったという。
この鳥居、一体どうして青いのだろうか? Jタウンネット記者がその謎に迫った。
船底用の青い塗料を使った?
港神社の鳥居は、なぜ青いのか。記者はまず延岡市役所や市役所の東海町支所、市の観光協会に尋ねてみたが、有力な情報は得られなかった。
そこで、地元で暮らす人の中に詳しい人がいないか調べていると、東海町の歴史や町内の神社仏閣などの史跡についての情報を、「我が郷土 東海」という1冊の冊子にまとめている人物を発見。
22年3月まで東海町の奥東海地区の区長を務めていた太田五生(いつお)さんだ。
太田さんの冊子の中で、港神社については次のように記述されている。
「港神社は延岡藩主三浦明敬公が元禄13年(1700)東海神社の場外末社(本社の境内以外にある小社)として住吉神社(大阪の住吉大社)の分霊を勧請(霊を移して祭る)したのに始まる」(「我が郷土 東海」より抜粋)
航海の安全や大漁を守るとされる海の神「住吉三神」を祭神とし、延岡藩主は参勤交代のために関西へ出航する際には、港神社や本社である東海(とうみ)神社で、神官が航海の無事を祈願する行事「御船送り」を行っていたらしい。
しかし、鳥居については記述がない。そこで23日、記者は本人に電話で聞いてみることにした。
太田さんによれば、神社が建てられたのと同時期に、お社の近くに木製の鳥居が一つ建てられた。ただ、最初は何も色が塗られていなかったという。
「時期は不明ですが、その後『海辺の近くにある鳥居だから赤ではなく青色がいいんじゃないか』ということで、当時船の船底の塗料に使われていたもので青く塗った、という由来だと思います」(太田さん)
最初の一つだけでなく、時代が流れていく中でいくつか新しい鳥居も奉納されていったが、いずれも最初の1つにならって青色になっているとのことだ。
毎年6月15日にはお祭りがある
太田さんの冊子には、航海の無事を祈願する「御船送り」の行事は大政奉還によって途絶えたが、「現在は漁協により実施されている」とも書かれていた。Jタウンネット記者は23日、地元漁協の1つである「延岡漁業協同組合」にも話を聞いた。
取材に応じた同組合参事の木三田純子(きさんだ よしこ)さんによると、お社から少し離れた場所にある一番大きな鳥居は、神社建立時に建てられた初代のものから数えて3代目だという。
「町内の詳しい方から聞いたお話では、初代の木製のものを昭和末期~平成初期のどこかのタイミングでコンクリート製のものに替えたのが2代目だということです。そして、その2代目の老朽化に伴って2020年に御影石を使ったものに替えたのが、現在ある3代目です」(木三田さん)
また、木三田さんは、港神社で毎年行われているという行事についても教えてくれた。
「いつから始まったのか、という詳細な時期はわかりませんが、毎年6月15日には豊漁や漁の安全を祈願する祭事がおこなわれています。一週間前から神社を掃除し、当日はお餅をついて餅まきをしたり、宮司さんを呼んで祝詞を捧げるなどの神事を執り行ったりします」(木三田さん)
海岸近くにある、海の色の鳥居。
漁の成功や船旅の安全祈願には、抜群のご利益がありそうだ。