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<東京暮らし(13)>離島留学という選択肢

中島 早苗

中島 早苗

2019.08.04 13:00
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<文 中島早苗(東京新聞情報紙「暮らすめいと」編集長)>

東京新聞朝刊で、作家の佐藤優さんが「本音のコラム」に、ご母堂の出身地、沖縄県久米島の高校が島外からの生徒を募集している、と書いていた。

いわゆる「離島留学」という制度で、調べてみると、実は今、国内では数々の離島で同様に島外、県外からの生徒を募集していることを知った。

この離島留学制度は、主に離島の人口減少、過疎化への対策として行われており、「地域おこし協力隊」など国の施策で人的・財政的に支えられている面もある。

久米島の青い海と白い砂浜には高校生ならずとも魅了される

久米島の青い海と白い砂浜には高校生ならずとも魅了される

久米島高校は創立73年という歴史のある学校だが、他の離島同様、島出身の入学者が年々減少、園芸科が存亡の危機に瀕し、2014年からこの留学制度を始めたのだそうだ。

その久米島高校の留学説明会が品川であると聞き、取材に行ってみることにした。

留学を決めた意外なきっかけとは

豊かな自然に恵まれた久米島高校は創立73年

豊かな自然に恵まれた久米島高校は創立73年

東京海洋大学品川キャンパスの会場を訪れると、予想よりずっと多くの人が集まっていた。42組85人もの中学生とその保護者が、久米島高校への留学に興味を持ち参加していた。

島外の中学から久米島高校に留学するには、(1)保護者と共に久米島に転居する (2)島内の方に身元引受人(島親さん)になってもらう――という2つの方法がある。

(2)を選んだ場合、町営寮から通う「寮型」(月額4万2000円)と、島親さんの元から通う「里親型」(月額7万円※町から2万円の補助あり)があって、住む場所と食事が提供される仕組みだ。

寮と同じ場所に町営塾もあり、これまで琉球大学や和歌山大学などの国公立大学に進学した生徒もいて、進路指導も手厚く行われている。ハワイの高校との交換留学制度もあり、取材した限り、学業の充実ぶりは都市の高校と遜色ない印象だ。

留学生が共に生活する寮「じんぶん館」

留学生が共に生活する寮「じんぶん館」

現在、計32名の離島留学生が在籍しており、生徒全体の1割強を占めるという。ちなみに関東出身者は15人で、内訳は東京5人、神奈川4人、千葉が3人。この離島留学制度は、応募者が年々増加しているが、町営寮の定員が32人のため、里親希望者を増やすなどしない限り、年に10余人程度の留学生しか受け入れられないのが実状だ。

その説明会に100人近い方が興味を持って参加をしていることに驚いたが、実際に留学中の生徒さんと、別の保護者の方に話を聞いてもっと驚いたのは、多くの選択肢の中から久米島高校を選んだその理由だった。

何も特別な事情があって留学したのではなく、「たまたま行った家族旅行で久米島が気に入ったから」、久米島高校へ行きたいと思ったのだそうだ。何ともライトな自然体の答えに、今の若い人の多様な価値観を見た気がした。

話を聞かせてくれた留学生は、現在3年生の丸山和馬君。東京都足立区の出身で、留学のきっかけは小学生の時に家族で行った久米島旅行だった。以来、久米島とは縁がなかったが、高校受験の際にどこを受けるか調べているうちに留学制度を知り、あの久米島に行きたくなって受験。見事合格、入った野球部もこの夏引退し、充実の高校生活もあと少しとなった。

現在久米島高校3年生の丸山和馬君

現在久米島高校3年生の丸山和馬君

――寮生活、さびしくない?

丸山君「入学してから一度もさびしくありません。1年に夏と冬、1週間ずつしか東京に帰ってないです(笑)。自然がきれいだし、島の人たちも温かくて、同級生のお父さんお母さんとご飯食べたりもするし、とにかく島が楽しいです」

――久米島に来て自分が変わったと思う部分はある?

丸山君「人前で話すのが苦手でしたが、2年生の時寮長をやったこともあって、皆の前で話す力がついたと思います。あと、中学までは洗濯も親にやってもらってましたが、寮生活で特に野球部だったので洗濯も自分でするようになって、自立できてきたと思います」

――3年生だと進路は決めているのかな?

丸山君「はい、東京の実家に戻って、歯科の専門学校に通う予定です。将来の仕事は、高齢化が進む離島で、自分が身に着けたスキルを使って手助けをしたいです」

真っ黒に日焼けし、白い歯を見せてはにかみながら笑う丸山君は野球青年らしく何ともすがすがしい。久米島の生活がさぞ楽しく充実しているんだろうなと思わせる、明るさがある。

離島留学で「人生が変わったと思います」

しかし一方、こんな可愛いお子さんを中学卒業と共に離島へと送り出したと思ったら、年に2週間しか帰って来ないなんて、親御さんとしてはさぞさびしいのではないか。そう思い、別の男の子のお母さん、神奈川在住の石井由美子さんにも話を聞いてみた。

石井さんの息子、拓登君は現在2年生。やはり家族旅行で訪れた時、久米島の方がたまたま、留学制度について教えてくれたのだという。大学進学希望だったので、離島だと進路指導等が心配だったが「学校の先生も、塾でも、勉強をよく見てくれるから心配ないですよ」と聞かされた。2年前に東京の説明会に参加、体験宿泊などで家族で更に2回久米島を訪れ、留学することになった。

拓登君は自分でどうしても久米島高校に行きたいと言っただけに、入学してから勉強もすごくがんばっているという。

現在久米島高校2年生の石井拓登君の母、由美子さん

現在久米島高校2年生の石井拓登君の母、由美子さん

――息子さんを送り出すのはさぞさびしかったかと。

石井さん「すごくさびしかったし、心配もしました。でも、家にいたら普通のわがまま息子だったのが、向こうに行って変わりましたね。朝は6時に起きて、7時半から始業まで先生が英・数・国の勉強を見てくれるのでそれに参加。塾もあるので、進路指導もすごく手厚いと感じます」

――拓登君は久米島生活の何に魅力を感じているようですか。

石井さん「自然ですね。海が好きなので、逆に言ったらそれしかないんですが。コンビニも2軒しかないし、息子が本当に満足するんだろうかと思っていましたが、海に行って釣りをしたり、写真を撮ってブログにアップしたりして、楽しんでますね。自然が好きな子には向いているんでしょうね。島のお子さんに溶け込めるかも心配しましたが、子ども同士は境界線がないみたいで、仲良くしてもらっています。島の大人の方たちも優しくて、寮母さん、役場の方もよくフォローしてくださるし」

――息子さんの成長を感じますか。

石井さん「洗濯一つしたことがなかった息子が、すごく自立して、びっくりしました。視野が広がったみたいですね。久米島で、いろいろな職業の大人の方たちとも接して、こういう生き方もあるんだ、って思ったみたいです。家にいたら、普通に予備校に行って、どこか大学選んで...という流れだったかもしれませんが、将来は獣医になりたいと言い出して。久米島で、いろいろな選択肢があるのも知ったし、彼の人生、変わったと思います」

――久米島が大好きになったんですね。

石井さん「あと1年しかない、って惜しんでます。私たち親まで『久米島病』にかかってしまって、2か月に1度久米島に行ってるんですよ(笑)。金曜のエアチケット見つけて、ホテル予約して。本当に何もない、道にもサトウキビを積んだ軽トラが走ってるだけなんですけどね。でも今年は説明会に80名以上の方が集まって、驚きました。2年前は20名位だったんですけど、それだけ価値観が多様化してきてるんでしょうかね」

あるのは海とサトウキビ畑。それしかないが、逆に、豊かな自然が、いかに人間を満たしてくれるかということなんだろう。

「久米島病」にかかってしまった石井さん、そして真っ黒に日焼けした丸山君の笑顔を見ていたら、何だか無性に私も久米島へ行きたくなった。そして、説明会に集まった42人の中学生たちが羨ましくなった。いいなぁ、久米島留学かぁ。

自分が中学生時代にこんな選択肢があったら、選んだだろうか? いや、きっと選べなかったと思う。友達や親兄弟と離れてたった一人、知らない島へ? 行けっこない。

それが、今の中学生は実に身軽に、都内の高校とそれほど区別なく、離島留学も選択肢の一つとして考えているように見える。こうした自由な選択がひろがることで、地方の活性化にもつながればいいなと感じた。

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久米島高校と留学制度等について、詳しくはこちらを参照されたい。

中島早苗

今回の筆者:中島早苗(なかじま・さなえ)

1963年東京墨田区生まれ。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)「モダンリビング」副編集長等を経て、現在、東京新聞情報紙「暮らすめいと」編集長。暮らしやインテリアなどをテーマに著述活動も行う。著書に『北欧流 愉しい倹約生活』(PHP研究所)、『建築家と造る 家族がもっと元気になれる家』(講談社+α新書)、『ひとりを楽しむ いい部屋づくりのヒント』(中経の文庫)ほか。
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