山梨の「甲府」には500年の歴史が! 2019年の記念イヤーには、どんなことをするの?
2018.02.07 14:00
「甲府」は「甲斐の府中」の略
「こうふ開府500年」公式サイトによると、甲府の歴史は、1519年に武田信玄の父である武田信虎が躑躅(つつじ)ヶ崎(現在の甲府市古府中町)に館を移し、城下町の建設をし始めたことに始まる。
「甲府」という名前は、「甲斐の府中」を略したものだ。1521年に信玄が生まれ、盤石な地盤を築くも、1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗戦し、武田家は滅亡してしまった。
その後、甲府は発展を見せる。徳川綱吉の側近である柳沢吉保などの手で再整備などが進められ、江戸時代には甲府城下町が最も繁栄しているとまで言われるに至った。
1889年に市制を施行するも、終戦間際の1945年7月には甲府空襲で市域の74%が焼け野原となった。そこから平和通りや駅前広場の建設などを通して復興へ向かい、高度経済成長期に甲府バイパスや中央線の複線化、交通網整備を進め、現在に至る。