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消失する日本の往来――「消滅可能性都市」の現在/十津川村
第2回 消えゆく「山仕事」、消えた映画館

福岡 俊弘

福岡 俊弘

2017.05.28 11:00
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中世から近代、現代へ。村の景色は都市の思惑で変わっていった

   圧倒的な山と森林、と言っていいだろう。スギとヒノキが半分を占める森が、視界に入らない場所を探すことは、十津川では不可能だ。十津川の人々は、常に山と森林を視野のどこかに置きながら暮らしてきた。山とともに、山の民として。「自然との共生」などという近年のキャッチフレーズが陳腐に思えるくらいに、十津川も十津川の人々も、ごくごく当たり前に、この圧倒的な山と森の中に生きてきたのだ。こんな民話が残っている。

十津川の山並みは、人の進入を拒むかのようにどこも屹立している。

十津川の山並みは、人の進入を拒むかのようにどこも屹立している。

   上湯川の古谷川の上流に上(かみ)という家があった。今では屋敷跡だけが残っている。

   ずいぶん昔の話である。この家におさよ、という娘がいた。ある日のことである。おさよは、日が暮れても一向に帰ってこなかった。家の人は大さわぎをしてさがしたが、何の手がかりもなかった。村の人も次の日から手分けをしてさがしたが、全くどこへ行ったかわからなかった。

   おさよが突然消えてからというもの、家の人は、何とか無事に生きて帰って来てほしいものだと、一心に神様や権現様にお祈りし祈とうも続けた。それでも、おさよは一向に現われなかった。

   ところが、まる三年過ぎたある日、おさよがひょっこり帰ってきた。

   あわれにも、おさよは見るかげもない姿であった。着物はぼろぼろになり、歯は一本もなかった。

   みんながいろいろ聞きただしたところ、おさよのいうには、出谷奥の栂の木の本(もと)で天狗にかくまわれていたという。その間、天狗がひょいと出してくれるものは、石でも何でも食べられたという。そして、天狗のところでは三日しかいなかったはずだ、と話していたということである。

   ――『十津川郷の昔話』(十津川村教育委員会編)から「おさよ」――


   浦島太郎の十津川村版とも言える話だが、浦島太郎が漁を営む民と海の関係性を示唆しているように、「おさよ」の話も、山の民と山のそれを示していて興味深い。山、谷、滝、峠。山の神、狐、オオカミ、タヌキ、河童、山女。十津川村は、険しい山々と深い森の作る時間と物語の中に存在している。


   山を畏れ、山とともに生きる十津川の人々だが、意外なことに、この村において、いわゆる林業が盛んであったのは戦後の一時期だけだという。その理由は極めてシンプルで、近代になるまで、木材を運び出す道がなかったからだ。

   十津川村と五条市を結ぶ縦貫道路、つまり十津川街道の拡張工事が始まったのが明治40年。そこから50年以上かかって、道はようやく村の南端まで辿り着く。それまで十津川は文字通り、陸の孤島だった。「十津川人は、ながく雲煙の中にいた」――司馬遼太郎は『街道をゆく』の中で、そう語っている。


   1960年代の高度経済成長の時代、都市部の住宅需要の高まりに伴って十津川村の林業は活況を呈す。が、ガイザイがすぐにやってくる。安価な外国産の木材「外材」である。この「外材」に価格面で太刀打ちできず、林業の盛り上がりはあっという間に萎んでしまう。


   一方、戦後、長きにわたって村の基幹産業となったのは、実は「土木」だった。こちらは、電力需要の高まりがその背景にある。1950年代に入り、熊野川の開発計画がされる中で、風屋、二津野の2つのダムが十津川村に建設することが決定した。風屋ダムの着工は1958年。前回登場いただいた玉置神社の弓場宮司の実家は、このダムの底に沈んだ。風屋ダムは着工から2年後に完成、すぐに発電を開始し7万5000kWの電力を関西圏に今も提供し続けている。

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風屋ダムの完成によってできたダム湖。この湖畔に十津川温泉郷がある。

風屋ダムの完成によってできたダム湖。この湖畔に十津川温泉郷がある。

   風屋ダムの完成後、ほとんど間を置かず二津野ダムの建設が始まる。こちらも2年後に完成、発電出力は5万8000kWと、村の年表には記されている。

   ダム工事と平行して、縦貫道路の整備が急ピッチで行なわれた。建設資材を搬入するため大型トラック、大量の土砂を運び出すダンプカー、ミキサー車、重機、そして何より大勢の建設作業員を輸送するために、橋が架けられ、トンネルが造られ、道幅が拡張され、十津川街道は近代的な道路へと変貌していった。日本中が高度経済成長に湧く中、十津川村はようやく「雲煙」を振り払い、町とつながった。それは言ってみれば、都市の思惑によって、切り開かれた風景でもあった。

活気と活況、そして消えた映画館
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