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82歳筆者が考える、「保育園開設」への反対論...同じ「高齢者」でも、戦前生まれ・戦後生まれの感覚は違う

ぶらいおん

ぶらいおん

2016.05.17 11:00
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あるべき「共生」社会を考えれば

『千葉県市川市内に予定されていた私立保育園が住民の反対を受けて断念していたことが分かり、ネット上で論議になっている。これでは、騒ぎになった「保育園落ちた」問題は、解決できないというわけだ。
待機児童を減らすには、保育園を増やすしかない。しかし、それもままならない事態になっているらしいのだ。』

   この矛盾した事態に関する筆者の見解は、我が国にとって喫緊の課題、すなわち

1.少子高齢化
2.男女雇用機会均等化
3.ワーク・ライフ・バランス
4.仕事と育児の両立支援
5.経営者の意識
6.社会的責任

などの諸問題に対する、現在の日本社会全体に及ぶ"網羅的コンセンサス欠如"に他ならない、と考える。

   評論家 内橋克人氏は著書「もうひとつの日本は可能だ」の中で、「公と私-二つの人生」という欄中、『...藤原審爾(作家...筆者注)の生涯の愛の事業は「育心」だった。「人は二つの事業の中の存在である。二つの事業が、一つの生活の中で果たし得る社会」を渇望した。世のためになるよう生きる、自らをよりよく育てる、二つの分裂を「必然」とせぬための防波堤を築きつづけた。...』と記す。

   これを我田引水的に解釈すれば、人は社会的な動物故、一人では生きて行けない。従って、社会と向き合い協調し、社会のために何らかの形で寄与して行くことを求められる。にも拘わらず、自らの日常生活あるいは環境等だけは、エゴイスティックに確保し続けよう、とする本能がある。しかしながら、この二律背反的命題を如何に両立させ得るか?によって、その人の度量が問われる、というような意味だろうか。

   つまり、「大勢集まったときの子どもの声は確かに煩いかも知れない」「子どもたちの送り迎えの車が多くなると、交通問題など色々弊害が生じるかも知れない」そういった問題は当然予想される。だからと言って、それを回避しようと頭から反対するだけでは、今の我が国が早急に解消すべき上掲の問題解決は益々遠のくだけだ。

   「少子化」問題を解決するためには、先ずは女性(ばかりでは無く、男性も含めて)、若い人達が働きながらでも、安心して子育てできる環境の整備が急務であることは、世の中に普通の関心と知識を有する人なら、当然理解しているはずだ。保育所の数が足りないから増設を図ろうとするのは、先ずスタート地点で、やっとその候補地が見つかり、計画を進めようとした矢先、問答無用で「反対、はんたい!」の声だけを高々と上げるだけ、というのは如何なものであろうか?

   無論、行政なり、保育所を建設しようとする主体が、住民のコンセンサスを如何にして得るか、についてのアプローチの仕方を含め、事前に十分に検討、努力することが求められるのは当然だ。俗に「物は言いよう」と言われるように、説得すべき周辺住民が十分理解し、納得出来るような論拠と熱意を持って慎重に対処すべきであることは論を俟たない。

   しかしながら、一方で「自分たちだけが他から全く干渉され無いように、と望んで守りを固め、必要なときだけ、社会に助けを求めよう」とするのは余りにも自己中では無いのか?

   以下は、全く筆者の独断的感触であり、ここで客観的データを提示することは出来ないが、私はかねがね「老人あるいは高齢者」と言っても、いわゆる団塊の世代とそれ以前に生まれた世代の高齢者との間には、その考え方について大きな相違があるのでは無いか?と感じている。

   ここで、その年代区分の仕方について、もう少し詳細に説明して置こう。筆者がはっきりとその境界線を引いているのは、太平洋戦争(大東亜戦争の方がより適切である、と個人的には信じているのだが...)の敗戦、昭和20年(1945年)の時点においてである。これを境にして、2016年現在で計算してみると、敗戦前に生まれた世代でも「後期高齢者」に分類されるのは昭和16-17年生まれまでゝ、同じ高齢者でも前期高齢者に分類される人々は敗戦の前後を跨いで分布することになる。

   そこで、筆者はあくまで敗戦の年1945年を基準とし、大雑把にその前後で分けながら話を進めることにする。

   筆者の感覚からすれば、日本で戦争が無くなってから生まれ、育った人達(いわゆる団塊の世代を含む)と筆者のように、既に戦前、戦中に生まれ、そしてその時代に育った人々とは、同じ高齢者と言っても、その生活感覚は可成り異なっている、と感じる。

   いわゆる戦中生まれ、戦中育ちは好むと好まざるに拘わらず、あらゆる物資、特に食糧欠乏の体験をしているはずだ。と言っても、その程度については都会に暮らしていた人々と食糧生産地に暮らしていた人々とは微妙に異なっていたらしいが、筆者は生まれてから前期高齢者の歳に達するまで、殆ど(戦時中の一時期の疎開時代を除いて)東京に暮らしていたので、その体験に基づいて記すことにする。

   兎に角、日本が昭和16年12月に戦争を始めてから緒戦の勢いはどこへやら、劣勢に転じ始めた戦中、戦後の或る時期まで食べることには大変苦労した。その体験は未だに身に染みついている。だから、どんなことがあっても食べ物を処分する際には、非常に気を使う。つまり、食べられるような物を廃棄することには大きな抵抗があるのだ。たまたま、既に前期高齢者の年齢に達した戦後生まれの人達と会食するようなことがあって、食べ残しがあると、それが気になって仕方が無いのだが、見ていると戦後生まれの人々は簡単にそれを廃棄してしまう。

   筆者には、それが我慢ならない。さすがに今は止めたが、食べ残しが出ないように、無理やりにでも片付けたことは、むしろ普通であった。もし、その時食べられなければ、全部持って帰りたいくらいなのだ。従って、スーパーの賞味期限についても、全く感覚が異なる。勿論、筆者だって、賞味期限は気にするが、かと言って、期限切れ間際、あるいは賞味期限切れであっても、直ちに廃棄するようなことはしない。無論、腐敗すれば、止むを得ない。しかし、賞味期限によって判断はせず、自分の五感(嗅覚や味覚)の方を信用する。

   つまり、筆者の世代は食糧を初めとする物資の窮乏状態を体験しているので、物の値打ちを尊重し、壊れても修理しながらでも使い続けようとし、その為に忍耐する努力を惜しむことは無い。そういう経験をして来ているので、何事にも忍耐と我慢が伴うものであるということが、無意識に身についている。

   と綴って来たが、無論、これはこの世代全ての人々に当て嵌まる、という訳では勿論無い。そういった傾向を有する人達が多いであろう、というに過ぎない。案外、目に触れる、この世代の老人達にも老化により分別や節度を失い、却って見苦しい振る舞いをするようになった人々が居るかも知れない。もし、そうだとしても、それはあくまで老化の故であろう、と筆者は考える。分別を失っていなかった頃は「我慢する」「耐える」という感覚を大部分の人々は有していたはずだ。そうしなければ、生き延びられない時代を経て来て居るからだ。そして、周りと協調して事に当たる、という訓練を受けて来ている。それこそ、非常時だから、そうしなければ安泰に、そして満足に生活出来なかったからだ。それに対して、敗戦後に生まれ育った、今の高齢者たちは物質的にも遥に恵まれ、それまでの時代への反動もあって、自由に、時に我侭にすら育って来た(そして、彼らの親たちもそれを知りながら、甘やかしてきた来た傾向もある)ように見える。その故か、筆者の世代からすると、彼らには「怺え性」が欠けているように思える。

   筆者世代の立場からすれば、「幼い子どもたちの上げる声が煩く、自分たちの平安が一方的に損なわれる」「だから、反対する」という単純な感覚には違和感を感ずる。

   『社会保障を支えるためには、保育園に子どもを預けて働く保護者たちの労働力が必要不可欠だということを理解すべき』週刊東洋経済2016年3/19日号「キレる老人」とある。

   しかし、そんな当たり前のことを今更考えてみなくても、自分たちも、この世に生を受け、両親や近隣の大人たちに見守られながら無事に成長し、結婚し、授かった我が子をまた、大事に、しかも社会からの色々な形での助けを借りながら、また自らも働き、身分相応に社会の一員としての役割を果たしつつ、一人前に育て上げる、というような普通の人生を全うした結果、今や老境に入った人なら、少し距離を置いた位置からでも若い人達や、その幼い子どもたちのために何か出来ることがありはしないか?もし、あるなら手を差し延べ、自分たちの経験を伝えて、彼らを支える一方、自らも遅かれ、早かれ介護などで若い人達からの支援を受けるようになる筈だ、と考えるのがむしろ、当然では無いのか?

   これこそが、本来あるべき「共生」の社会だし、このようにして今の社会が成り立っていかない限り、少子高齢化の進む日本の未来は無いだろう。

   「幼い子どもたちの上げる声が煩い」とか「交通問題が生ずる」というような自分勝手な言い分だけで、必要な施設(ここで、詳しくは論じないが、この施設がもし高齢者介護用のものだったら、周辺の高齢者たちはどう反応するのか?訊いてみたいものだ)を設けることが出来ない、というのはどう考えてもおかしい。

   元々そんな事柄は、当事者の工夫と努力で乗り越えられる程度の問題のはずだ。事に当たる関係者の問題解決に対する熱意と努力が不足している、と言わざるを得ない。

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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh
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