ココからあなたの
都道府県を選択!
全国
猛者
自販機
家族
グルメ
あの時はありがとう
旅先いい話

100年近く受け継がれる"朝ラー"聖地の温と冷 静岡県藤枝市の「志太系ラーメン」

at home VOX

at home VOX

2016.04.13 12:04
0

■旧志太郡の朝ラー文化の始まり

朝の8時半からお昼どきまでほとんど客足が途切れず、その多くが地元の客。マルナカは、まさに旧志太郡の朝ラー文化を象徴する店です。始まりは小栗さんの祖父にあたる初代・小栗喜一さんが創業した屋台でした。

小栗さん「祖父は隣町・焼津の港の近くで夜鳴きそば(夜に屋台でラーメンを売り歩く商売)を始めたと聞いています。それから藤枝に移って、店を構えたのが1935年ごろ。当時は昼から夜遅くまで営業していました

ところが客の来店する時間帯が、なぜか朝早くなっていったそうです。

小栗さん「私が小学生のころでした。だんだんと朝早くから店をのぞきにくる人が増えてきたんです。なかには6時に来る人もいて、店の前で開くのを待ってもらうのもつらいから、祖父が40年くらい前に朝8時半に開店することを決めたんです

三代目の小栗由江さん。夫の孝昌さんと2人で店を守る。
三代目の小栗由江さん。夫の孝昌さんと2人で店を守る。

朝早くから店に人が集まる理由は、産業にあったと言われています。かつて茶業が盛んだった旧志太郡では早朝から市場で働く人が多く、仕事の帰り道に腹ごしらえしようと朝から飲食店に足を向ける人が多かったそう。そうした客の要望に応えたのがマルナカだったのです。

では、マルナカ独特の中華そば、冷やしという2本柱のスタイルが確立したのは、いつだったのでしょう?

小栗さん「これも祖父の時代です。創業時からのメニューは中華そば。ただ、そのころはラーメンというもの自体が普及していなくて、祖父の作ったラーメンは脂っこくて食べられないと言われたらしいのです。それで今のような、さっぱりとした味に途中で変えたそうです」

冷やしを考案したのも、同じく初代でした。

小栗さん冷やしは戦前にはあったと思います。ある夏の暑い日、常連の女性客に中華そばは熱くて食べられないと言われたそうです。そこで水で洗った麺を冷めたスープに入れて出してみたところ喜んで食べてくださったので、後にちゃんとしたメニューにしようと工夫を重ねて生まれました」

その後、旧志太郡にはマルナカのスタイルを踏襲するラーメン屋が多く誕生していくことになります。

創業時からほとんど姿を変えていない中華そばと冷やし。
創業時からほとんど姿を変えていない中華そばと冷やし。

旧志太郡のラーメン屋の多くはマルナカのように朝から営業するという共通点があります。塩やとんこつなどマルナカとは違った味を追求する店も少なからず存在しますが、これらは朝ラー文化圏に属していても志太系ラーメンとは異なるもの。マルナカの味を目指して作られたラーメンだけが、志太系ラーメンと呼ばれています。

小栗さん「祖父は母(2代目)に『自分にとってうまいラーメンを作りな。だから味は変えてもいいよ』と、教えたそうです。でも母は味を変えなかったし、私も昔のままの味でやっていきます。いつも来てくれる地元のお客さんにとっては、食べ慣れている味が一番だと思いますから」

マルナカは100年近くもの間、地元に愛される旧志太郡の伝統の味を守り続けてきました。志太系ラーメンは、時にマルナカ系ラーメンとも呼ばれます。そこにはきっと、マルナカへの尊敬や親しみが込められているのでしょう。

マルナカがあるJR藤枝駅周辺に志太系ラーメンの店が多いのはもちろんですが、朝ラー文化圏はさらに広く、隣駅の六合や西焼津にも名店と呼ばれる店が存在します。胃袋に自信のある方はいくつかの店をはしごして、旧志太郡に息づく独特のラーメン文化を体験してみてはいかがでしょう?

店舗情報

● マルナカ

住所:静岡県藤枝市志太3-1-24

電話:054-646-1516

営業時間:8:30~13:15(日祝第2・4土曜休)

※記事中の情報・価格は取材当時のものです。

関連記事

麺は口ほどにものを言う~ご当地ヌードル探訪~ 栃木県民が愛する"ちたけ"とは? 栃木県の郷土料理「ちたけそば」

麺は口ほどにものを言う~ご当地ヌードル探訪~ 特大巾着を開けてびっくり! 奈良県奈良市の「巾着きつね」

麺は口ほどにものを言う~ご当地ヌードル探訪~ 10分で打てるこねないうどん 埼玉県ときがわ町の「一膳取り もろやま華うどん」

PAGETOP