大河ドラマ「真田丸」で町おこしを狙う沼田市が、全力で「真田推し」に踏み切れない理由
2016年の大河ドラマ「真田丸」は、初代薩摩藩主・島津忠恒が「日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由」と絶賛した真田幸村(信繁)が主人公だ。
父・昌幸が本拠地として築き、幸村も居住した上田城は、「真田ゆかりの地」として全国から注目され、連日大勢の観光客が押し寄せる。上田市も特設ウェブサイトを開設したり、「(仮称)信州上田真田丸大河ドラマ館」の開設準備を進めたりとPRに励んでいる。
幸村人気にあやかろうとしているのは上田市だけではない。同じく戦国~江戸初期に真田家の領土であった群馬県沼田市は「もうひとつの真田の舞台」をキャッチフレーズに、観光客を呼び寄せようとしている。
幸村の末裔が過ごした宮城県蔵王町が「蔵王町は、真田幸村公ゆかりの郷です」と堂々アピールしているのと比べると(参照:何の関係が...? 宮城・蔵王町が「真田幸村ゆかりの郷」で町おこしする理由)、正直言って控えめだ。コンテンツの中身もまだまだこれからといったところ。
実は沼田で真田家はあまりよく思われていない。というのも、江戸時代の藩主が領民を慈しむどころか、真逆の圧政を展開したからだ。