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大河ドラマ「真田丸」で町おこしを狙う沼田市が、全力で「真田推し」に踏み切れない理由

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2015.09.28 06:00
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悪政すぎて幕府に潰された沼田藩

沼田は1580年に昌幸が攻略した。短い空白期間はあるものの、1590年から幸村の兄・信幸(後に信之と改名)とその妻・小松姫が治めた。
1600年の関ヶ原の戦い後、信之は上田城に戻るも、江戸時代初期に真田の分家が沼田藩として独立する。表高は3万石しかなかったのに、本家に対するライバル心が仇となり、その約4.5倍の石高を幕府に申請した。

税が激増した領民は大いに苦しむ。名主や農民が幕府に直訴し、藩主の不手際も重なって、1681年に改易の処分が下る。五層の天守があった城は破却され、遺構は石垣を一部残すのみとなっている。

直訴人の1人、杉木茂左衛門は禁を犯したとして磔(はりつけ)の刑に処せられた。しかし地元の人たちは「茂左衛門様」と呼び、処刑場跡や茂左衛門地蔵尊(群馬県みなかみ町)のお参りを欠かさない。そして上毛かるたは「天下の義人 茂左衛門」と読み継ぎ、その勇気を後世に伝えている。
一方、上毛かるたは真田家について全く触れていない。

9月23日は地蔵尊の秋の法要で、大勢の家族連れでにぎわった。

ちなみに上記の投稿をしているのは、沼田周辺の町おこしを目指す「小松姫プロジェクト」のツイッターだ。上記の関係を見ると、なんか皮肉な感じがある。

沼田市役所は8月31日、オリジナルの「真田ロゴマーク」を発表した。説明文によると、沼田の象徴「たんばらのブナの葉」と、沼田の礎を築いた真田氏の「六文銭」を掛け合せたデザインだという。

town20150925191201.jpg

良い出来事も悪い出来事もすべて歴史の1ページとして記憶にとどめつつ、未来に向けて歩んでいこうという、沼田市民の前向きな決意が込められていると見るのはうがちすぎだろうか――。

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