チャンスはつかむもの? チャンスはつくるもの!
運・不運にはそれなりの理由あり
プロの世界でも二軍にいることに慣れてしまい、そこに甘んじてしまう選手がいます。
しかし、かつてイチローが二軍で振り子打法に磨きをかけたように、いま、自分が置かれた状況をどう生かすか、いまいる状況を前向きにとらえられるなら、それはチャンスです。
野球のチーム、とくに少年野球は、技術がある、上手い選手だけで成り立つものではありません。この子は明るくムードメーカーになるなとか、戦況を的確に判断できるな、チームをうまくまとめることができるなと判断すれば、ベンチに入れておきたいと思われるようになる、そして、それがステップアップのチャンスにつながります。
運・不運という言葉もあります。
野村克也さんは著書のなかで「運を呼び込めるかどうかは、選手しだいである」と記されています。
たとえばフラフラと力なく上がった打球が内野と外野の間にポトリとおちるポテンヒット(テキサス・リーガーズ・ヒット=テキサスヒット)をラッキー、運がいいと思う人が多いけれど、じつはそうではない。バットの芯から少し外れたところに当たったが、それは、きちんとした打撃フォームでしっかり振り切っているから得られた結果であり、悪いフォームで打っていてはそうはならない。それを「運がよかった」というのであれば、その運を呼び込めるかどうかは、選手しだい。「ほんとうはストレートを待っていたのにカーブが来た。思い切って振り切ったからよかったけれど、なぜ球種を読み間違えたのか」と反省し次につなげようとするのが運を呼び込める選手であり、その逆に運を呼び込めない選手は「読み間違えた。でもラッキー、結果オーライ」で簡単に片づけてしまう。
結果を表面的に見れば運がいい、悪いということかもしれませんが、そこに至るプロセスがまるっきり違う。自分は運が悪いと嘆いたり、今回は運がなかったとすませてしまう人が多いが、仔細に眺めれば、運・不運には必ずといっていいほど、それなりの理由や過程があるというのです。
「求めよ、されば開かれん」という言葉。ただ待っているだけでなく動かないといけない、アクションを起こせよというように解釈されますが、
これは聖書にある言葉で、より正確にいうと......
突然の来客があり食事をもてなそうとするけれど自分のところにはあいにく何もない。そこでお隣の門を叩く。するとなかから声がして、もう遅いので明日にしてくれと返ってくるかもしれない。しかし、そこであきらめるな。ほんとうに必要、助けてもらいたいなら、執拗に門を叩き続けなさい。そうすれば、仕方がないなとなかから門を開けてもらえるのだ、という話です。
ただ、漠然と行動するのではなく、常に真剣に本気で門を叩くこと、そうすることで機会、チャンスが得られるということです。
第5回 好きをレベルアップする!
第6回 常に準備しておく
第7回 SDGsと野球