〝災害級〟豪雪の青森で実感した「先人の知恵」のありがたみ 命懸けの移動の途中で「ほっとしました」
私有地になっても「パブリックスペース」
黒石市公式サイトの「こみせ通りの歴史的背景と概要」というページによると、「こみせ」の誕生は、江戸時代前期(17世紀半ば)、黒石領初代領主・津軽信英が町割りを行った際に作らせたと伝えられている。18世紀には、高橋家住宅(国重要文化財)をはじめ、「こみせ」を持つ商家が数多く立ち並んでいたという。
黒石の「こみせ」は主屋1階の高さに合わせてひさしをつけた「落とし式」。雪を防ぐために落とし込む「蔀(しとみ)」や、幕板、欄間風の細工、庭への入り口部分に設けられた入母屋屋根など、通り全体の統一性を保ちつつ、家ごとに個性のある意匠が施されているようだ。
黒石の「こみせ」の空間は、江戸時代では公共のものとして扱われていたが、明治の地租改正時に私有地となった。
しかし現在もこみせの空間は多くの人々に利用されており、私有地でありながら公共性の高いパブリックスペースとなっているそうだ。
投稿者・gamo.junさんも、子供の頃の思い出をこう話す。
「このあたりももっと広範囲に『こみせ』が連なり、お店も建ち並んでいました。『こみせ』の中に商品が陳列されていたりと、雨や日射しを避けながら買い物もできました」(「gamo.jun 」さん)
黒石美術会の展示の際は、作品を「こみせ」に並べたという。雨が降っても心配なかったそうだ。
ところでXには、こんな反応もあった。
「新潟魚沼は雁木(がんぎ)って呼んでたかなぁ」
「ウチの田舎だと雁木と呼ばれます。雪国にはなくてはならない大切なものですよね」
「上越市ですが 雁木といってます。雪がひどいとき雁木がありがたかったです」
雪国・新潟をはじめ、全国からの共感のポストが続々と届いている。他にもほぼ同じ機能のものを「かりや」(鳥取県若桜町)や「こまや」(山形県米沢地方)などと呼ぶ場合もあるようだ。
呼び方は違っても、先人たちの知恵には感謝しかない。
7日、青森県の宮下宗一郎知事は、県内の10市町村に「災害救助法」を適用されたことを発表した。黒石市もその中に含まれている。
「こみせ」に守られながら、被害がこれ以上広がらないよう願うばかりだ。