「フジテレビ=お台場」になる前のこと、覚えてる? 令和の今も残り続ける「昭和の痕跡」を訪ねてみた【昭和の日特集】
たまたま建てた石碑が貴重な場所に
あけぼのばし通りは、曙橋駅からほど近い場所にある。フジテレビがあった時代は「フジテレビ通り」という名前で、看板も掲げられていた。
この商店街を進んでいくと、「塩谷ビル」がある。そこに行くと......。
「左 フジテレビ」
と、書かれた石碑が今も残っているのだ!
石碑の案内通り、左に進むと「念仏坂」があり、この階段を上って左に進むと河田町ガーデン、つまり当時のフジテレビに到着する。
石碑の裏側を見ると、「昭和59年9月建之」とある。1984年、フジテレビの黄金期が始まって間もない頃に作られたものだ。
なぜこんな石碑がビルの一角にあるのだろうか。18日、Jタウンネット記者は塩谷ビルにある「塩谷石店」に聞いた。
「先代がフジテレビに知り合いがいて、何か目印を作ろうってことでたまたま建てたんです」(塩谷石店)
「たまたま」建てられたという石碑だが、令和の今となっては河田町時代のフジテレビの記録を残す貴重な場所に。
移転から四半世紀。すっかりフジテレビ=お台場のイメージが定着した今もなお、この石碑だけは河田町にテレビ界の王者がいたことを今に伝えてくれている。