「フジテレビ=お台場」になる前のこと、覚えてる? 令和の今も残り続ける「昭和の痕跡」を訪ねてみた【昭和の日特集】
「楽しくなければテレビじゃない」
この旗印のもと、1980年代のテレビ界、いや日本中を席巻していたテレビ局がある。
お馴染み「フジテレビ」だ。80年代のフジテレビは、「オールナイトフジ」「オレたちひょうきん族」「とんねるずのみなさんのおかげです」をはじめ、数々の人気バラエティを量産。ドラマでも「君の瞳に恋してる!」「愛しあってるかい!」など、トレンディドラマと呼ばれる路線の名作を世に出し続けていた。
82年から93年まで12年間にわたって「年間視聴率3冠王」を獲得し、名実ともに日本一のテレビ局の座に君臨していたフジテレビ。数々の名番組を発信し続けていたのは、現在の東京・お台場の本社ではない。
黄金期のフジテレビが本社を構えていたのは、都営地下鉄新宿線・曙橋駅の近く、新宿区河田町。
周囲を住宅地に囲まれた場所にそれはあった。
移転から25年――跡地には何も残っていない
フジテレビの旧河田町本社は1959年に開館。以後、フジテレビの本社として1997年3月のお台場移転まで稼働を続けた。
移転後、間もなくして解体が始まり、現在は河田町ガーデンというマンションに生まれ変わっている。
そして、ここにはフジテレビの本社だった痕跡は、何一つ残っていない。
移転から長い時間を経ているとはいえ、かつてテレビ界の王者の拠点だった場所だ。その功績を伝える物が残っていないのは寂しい......。
そこで筆者が調べてみると、河田町ガーデンではなく、そこからすぐ近くの「あけぼのばし通り」に当時を偲べる場所があるらしいことが発覚。
移転から25年経った2022年4月19日、その場所へ足を運んだ。
たまたま建てた石碑が貴重な場所に
あけぼのばし通りは、曙橋駅からほど近い場所にある。フジテレビがあった時代は「フジテレビ通り」という名前で、看板も掲げられていた。
この商店街を進んでいくと、「塩谷ビル」がある。そこに行くと......。
「左 フジテレビ」
と、書かれた石碑が今も残っているのだ!
石碑の案内通り、左に進むと「念仏坂」があり、この階段を上って左に進むと河田町ガーデン、つまり当時のフジテレビに到着する。
石碑の裏側を見ると、「昭和59年9月建之」とある。1984年、フジテレビの黄金期が始まって間もない頃に作られたものだ。
なぜこんな石碑がビルの一角にあるのだろうか。18日、Jタウンネット記者は塩谷ビルにある「塩谷石店」に聞いた。
「先代がフジテレビに知り合いがいて、何か目印を作ろうってことでたまたま建てたんです」(塩谷石店)
「たまたま」建てられたという石碑だが、令和の今となっては河田町時代のフジテレビの記録を残す貴重な場所に。
移転から四半世紀。すっかりフジテレビ=お台場のイメージが定着した今もなお、この石碑だけは河田町にテレビ界の王者がいたことを今に伝えてくれている。