「平和」という名を背負い続けて76年 改めて知っておきたい「Peace」が愛される理由
デザイン界に与えた大きな影響
すでにデザイナーとしての地位を確立していたローウィとの契約は、高額なデザイン料を背景に反対の声もあったという。しかし、日本専売公社は1951年にローウィとの契約を締結。その後、9つのデザイン案がローウィから送られてきた。

「当時のたばこ のデザインは懸賞で募集して、日本専売公社のデザイン部門が修正するか、名のあるデザイナーに頼むといったことが主流でした。名のあるデザイナーだと、デザイン案を1個しか送ってこなくて、断った事例もあるものの、専売公社としては断りづらかった。
しかし、ローウィは9つの試作品を送ってきて、その1つ1つに丁寧な解説をつけたんです。
その中にはヨーロッパでは好まれないけど、日本では好まれる紫系の色。後に『ピース紺』と言われる色が使われたデザインが含まれていました。試作品から選ぶ作業もそうですし、その国にとって色と形を大事にするデザインの出し方は、日本専売公社のデザイン担当者にも勉強になったそうです」(鎮目さん)

こうして1952年4月、ピースは装いを新たにした。
懸念されていたデザイン料の請求は、当初180万円。総理大臣の月給が8万円だった時代であるのを考えるととんでもない金額だ。
「180万円という金額はラッキーストライクのデザイン料の6分の1だったといいますから、ローウィとしては相当まけてやったつもりだったのでしょう。ただ、当時はデザインにお金をかける感覚がなかったので、さすがに満額は出せない。そこでカートン用の包装を使わず、最終的に150万円で落ち着きました。それでも高額なのは変わりないですから、当時の国会でも問題になっています。
しかし、多少の改良があるとはいえ、今でもこのデザインを使っていると考えれば安いものです。しかも、パッケージが新しくなって売り上げも3倍になりました」(鎮目さん)

ピースの新パッケージはデザインが重視されていない時代に、商業デザインの重要性を世に示す役割を果たしたのだ。そしてこの出来事は、若手のデザイナーに夢を与えたという。