「お菓子の島」が日本にあるって知ってる? 江戸時代から伝わる、平戸の伝統菓子を食べてみた
2021.02.16 18:30
提供元:平戸観光協会
南蛮貿易で菓子文化が渡来
「砂糖は奈良時代に中国から入ってきたと言われていますが、本格的に広まったのは16世紀です。1550年から始まったポルトガルとの貿易によって、平戸に砂糖と西洋の菓子文化が入ってきました。
砂糖・菓子文化は平戸から全国に広まったのです」(岡山館長)
平戸は砂糖・菓子文化を全国に広める拠点となった――。どうやら「お菓子の島」とされている理由はここにあるらしい。
南蛮貿易によって日本に渡来した、西洋のお菓子。岡山さんによれば、これらが広まった一番大きな要因は「宣教師」にあるという。
「カステラや金平糖といった砂糖をふんだんに使ったお菓子を、ポルトガルから来た宣教師が布教活動にも利用しました。宣教師とともに、全国に広まったと思われます」(岡山館長)
江戸時代初期の頃は、砂糖を多く使用したお菓子は、いわば贅沢品。「庶民が日常的に食べるのはなかなか難しかったと思う」と岡山館長は推測する。
1609年、江戸幕府から貿易の許可を受けたオランダ東インド会社が、平戸に「平戸オランダ商館」を設立。東アジアの貿易の拠点となった。
しかし41年に幕府の命令を受け、オランダ商館は長崎の出島に移転。オランダの船がそこに来航するようになると、西洋の医学を学びに長崎に日本全国から人が集まるようになったという。
「カステラのように砂糖や卵をたくさん使ったお菓子は、栄養補助食品としても重宝されていました。 医者は医学とともにカステラなどの製法を勉強し、地元の病院で患者に栄養をつけるために食べさせました。これがカステラが全国に広まった理由の一つと考えられます」(岡山館長)