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たこ焼きと明石焼き、結局何が違うの? そんな疑問を一瞬で解消するボードがこちら

笹木 萌

笹木 萌

2020.07.19 08:00
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たこ焼きのルーツは明石焼き?

改めて明石焼きとたこ焼きを比べて見ると、姿かたちは本当にそっくりだ。横井さんが言うように、間違える人が多いのも頷ける。

では明石焼きとたこ焼き、なぜこんなにも似ているのか。それぞれのルーツをたどってみた。

左は明石焼き、右はたこ焼き(画像はイメージ)
左は明石焼き、右はたこ焼き(画像はイメージ)

明石観光協会のサイトには明石焼きのルーツが載っている。なんでも江戸時代末期から明治にかけて製造された模造珊瑚の「明石玉」を作る過程で、残った卵の黄身と小麦粉、タコを入れて作られたのが明石焼き(玉子焼)の始まりなのだとか。

では、たこ焼きはどこから生まれたのか。

大阪府立中央図書館の調査(レファレンス協同データべース掲載)によれば、「暮らしと物価 大阪百話」(「暮らしと物価大阪百話」編集委員会)という文献に、たこ焼きの発祥について以下のような記述があるという。

「たこやきの創始者は、いま西成区橘1丁目に店を構えている『会津屋』の初代遠藤留吉さん。福島県から大阪へ出て来た遠藤夫妻が、知人にすすめられて、ラジオ焼(編注:小麦粉にすじ肉やネギなどを入れて焼いたもの)の屋台を始めたのは昭和10年(1935)の秋でした。

遠藤さんは子どものおやつでしかなかったラジオ焼を改良し、なんとか大人の口にもあうものにしようと工夫を重ねました。初めはコンニャクや豆・肉などをネタに加えてみましたが、いまひとつ評判は芳しくなかっか(原文のまま)のです。

そんなある日、明石から来たという客が、『大阪は肉かいな。明石はタコいれとるで』。この一言がヒントとなり、肉のかわりにタコをいれ、初めて『たこやき』と名付けました。また小麦粉を、醤油味のダシで溶くようになったのも、そもそも遠藤さんのアイデアで、かくして会津流のたこやきが誕生しました」

「明石はタコいれとるで」――これは明石焼きのことだろうか。そうだとしたら、たこ焼きは明石焼きに着想を得て生まれたと考えられる。

実際、明石市公式サイトにも「大阪のタコ焼きにタコが入っているのは、明石焼からヒントを得たと言われています」と記載がある。これらの記述を踏まえると、たこ焼きと明石焼きは、いわば兄弟のようなものと言えるかもしれない。だったら、似ているのも当然だろう。

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