<東京暮らし(16)>「不登校」を考える
「誰もが排除されない居場所」に
ランチが準備される中、スタッフの方と子どもたちにも少し話を聞くことができた。まずは、非常勤職員の愛甲香織さん。自身も高校の時不登校になり、自主退学して通信制高校を卒業した。
当時通っていたフリースクールで出会った西野さんがたまりばを始めたのをきっかけに、もう20年以上西野さんと一緒に不登校の子どもたちと関わっているという。自身の経験も振り返りながら、次のような話をしてくれた。
愛甲 子どもの時って、世界が狭いですよね。学校と家の往復で、そこしか知らないから、追いつめられる。でもよく考えると、学校って特殊な環境ですよね。同じ地域の同じ年の40人と毎日ずっと一緒。大人になったらそんな世界はないから、学校に馴染めない子がいても当たり前。大人になっていくと世界が広がって、社会ってもっと雑多なものだってわかりますよね。目の前が開けてくるというか。でも子どもにはその開けた世界が見えないから、ちょっと先をいく大人が困っている子と色々な経験をしながら、「ほら、世の中ってもっと開けてるよ」って、広い景色があるということを伝えていくのが大事だと思います。
通信制高校1年生のKさんは、小学校2年の時からえんに来ているという。小学校と中学校は週1のペースで出席、えんに通っていることで、学校も出席扱いになり、卒業したという。えんでは、仲間と喋ったり、楽器を弾いたり。「学校とは全然違って、やりたいことができるのがいい」と話してくれた。
東京・町田市から来ているA君は中学2年生。19年4月からえんに、週に4日は通っている。スクールソーシャルワーカーで、えんのスタッフでもある方が学校を訪れたことで、えんを知ったという。
A君ととても仲良く話していた、Nさんも話をしてくれた。横浜市の中学3年生で、両親がネット検索でえんを知った。中1の1月から来て、週4~5日通っているという。「えんのどんなところがいいと思う?」と尋ねると、「学校と違ってルールがない。ケンカはたまにあるけど、いじめはない。勉強したければ教えてくれる人もいる。人と話せるのがいい」。来春は通信制高校に進学する予定だという。
もう一人、小学6年生のR君は、東京・調布市から電車とバスを乗り継いで来ている。小3の時から通っているそうだ。どの子も結構遠くから通っているのに驚く。不登校の子どもの数に対して、フリースクールが圧倒的に足りないという現実を目の当たりにする思いだ。
この日、写真を撮らせてもらった時に室内にいた子どもだけで40人はいただろうか。他にも外や、別の場所で遊んでいる子もいたが、どの子も学校に通っていないとは思えないほど、ここではのびのびと楽しそうに仲間と話したり、ランチを食べたりしている。
西野 かつて学校は、子どもの居場所であり、学びの場だったんですよね。だから、例えば家で困ったことがある子でも、学校に来ればご飯(給食)も食べられて、友だちもいて、勉強も教えてもらえて。僕らは放課後、先生とドッジボールして遊びましたよ。それが今、いろんなことが変化して、放課後は学校に残っちゃいけない。競争社会が学校の中にまで入ってきて、先生と子どもの関係性も変わってしまった。親も生きにくい、親も孤立してるんですよね。子どもと家族に自己責任を問う、新自由主義のひずみというか。子どもはね、不登校だろうが、大人たちの肯定的なまなざしがあればちゃんと育つんですよ。子どもそのものを「大丈夫だよ」って見て、丸ごと信じる。そうすると子どもは安心して、やる気を出して、見事に育つんです。
子どもたちは代わる代わる、西野さんにグループで突進して、あるいは一人ずつまとわりついて、「ねえねえ、ニシヤン」「ニシヤン、聞いて!」と話しかける。西野さんはその度、「お!なんだ?」と向き合い、話を聞いて、笑っている。こういう相手が必要なんだな、子どもには。
取材を終え、広大な敷地の夢パークを出て、最寄りの南武線・津田山駅へ向かうのどかな風景を眺めながら、私は西野さんの言葉を思い出していた。
「人間が育っていくのに、何が必要かと常々思うんです。僕らがつくっているのは、誰もが排除されない居場所、一緒に生きていく仲間かな」
一緒に生きていく仲間がいない孤独、居場所がない心細さ。想像すると背筋が凍るが、そんな思いに追いつめられている子どもや大人がいたら、西野さんに教わった通り、「一人じゃないよ」というメッセージを伝えられる人間でありたい。