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<東京暮らし(13)>離島留学という選択肢

中島 早苗

中島 早苗

2019.08.04 13:00
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離島留学で「人生が変わったと思います」

しかし一方、こんな可愛いお子さんを中学卒業と共に離島へと送り出したと思ったら、年に2週間しか帰って来ないなんて、親御さんとしてはさぞさびしいのではないか。そう思い、別の男の子のお母さん、神奈川在住の石井由美子さんにも話を聞いてみた。

石井さんの息子、拓登君は現在2年生。やはり家族旅行で訪れた時、久米島の方がたまたま、留学制度について教えてくれたのだという。大学進学希望だったので、離島だと進路指導等が心配だったが「学校の先生も、塾でも、勉強をよく見てくれるから心配ないですよ」と聞かされた。2年前に東京の説明会に参加、体験宿泊などで家族で更に2回久米島を訪れ、留学することになった。

拓登君は自分でどうしても久米島高校に行きたいと言っただけに、入学してから勉強もすごくがんばっているという。

現在久米島高校2年生の石井拓登君の母、由美子さん

現在久米島高校2年生の石井拓登君の母、由美子さん

――息子さんを送り出すのはさぞさびしかったかと。

石井さん「すごくさびしかったし、心配もしました。でも、家にいたら普通のわがまま息子だったのが、向こうに行って変わりましたね。朝は6時に起きて、7時半から始業まで先生が英・数・国の勉強を見てくれるのでそれに参加。塾もあるので、進路指導もすごく手厚いと感じます」

――拓登君は久米島生活の何に魅力を感じているようですか。

石井さん「自然ですね。海が好きなので、逆に言ったらそれしかないんですが。コンビニも2軒しかないし、息子が本当に満足するんだろうかと思っていましたが、海に行って釣りをしたり、写真を撮ってブログにアップしたりして、楽しんでますね。自然が好きな子には向いているんでしょうね。島のお子さんに溶け込めるかも心配しましたが、子ども同士は境界線がないみたいで、仲良くしてもらっています。島の大人の方たちも優しくて、寮母さん、役場の方もよくフォローしてくださるし」

――息子さんの成長を感じますか。

石井さん「洗濯一つしたことがなかった息子が、すごく自立して、びっくりしました。視野が広がったみたいですね。久米島で、いろいろな職業の大人の方たちとも接して、こういう生き方もあるんだ、って思ったみたいです。家にいたら、普通に予備校に行って、どこか大学選んで...という流れだったかもしれませんが、将来は獣医になりたいと言い出して。久米島で、いろいろな選択肢があるのも知ったし、彼の人生、変わったと思います」

――久米島が大好きになったんですね。

石井さん「あと1年しかない、って惜しんでます。私たち親まで『久米島病』にかかってしまって、2か月に1度久米島に行ってるんですよ(笑)。金曜のエアチケット見つけて、ホテル予約して。本当に何もない、道にもサトウキビを積んだ軽トラが走ってるだけなんですけどね。でも今年は説明会に80名以上の方が集まって、驚きました。2年前は20名位だったんですけど、それだけ価値観が多様化してきてるんでしょうかね」

あるのは海とサトウキビ畑。それしかないが、逆に、豊かな自然が、いかに人間を満たしてくれるかということなんだろう。

「久米島病」にかかってしまった石井さん、そして真っ黒に日焼けした丸山君の笑顔を見ていたら、何だか無性に私も久米島へ行きたくなった。そして、説明会に集まった42人の中学生たちが羨ましくなった。いいなぁ、久米島留学かぁ。

自分が中学生時代にこんな選択肢があったら、選んだだろうか? いや、きっと選べなかったと思う。友達や親兄弟と離れてたった一人、知らない島へ? 行けっこない。

それが、今の中学生は実に身軽に、都内の高校とそれほど区別なく、離島留学も選択肢の一つとして考えているように見える。こうした自由な選択がひろがることで、地方の活性化にもつながればいいなと感じた。

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久米島高校と留学制度等について、詳しくはこちらを参照されたい。

中島早苗

今回の筆者:中島早苗(なかじま・さなえ)

1963年東京墨田区生まれ。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)「モダンリビング」副編集長等を経て、現在、東京新聞情報紙「暮らすめいと」編集長。暮らしやインテリアなどをテーマに著述活動も行う。著書に『北欧流 愉しい倹約生活』(PHP研究所)、『建築家と造る 家族がもっと元気になれる家』(講談社+α新書)、『ひとりを楽しむ いい部屋づくりのヒント』(中経の文庫)ほか。
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