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<東京暮らし(8)>地域に根付いた「子ども食堂」

中島 早苗

中島 早苗

2019.02.03 11:00
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思いやりあふれた「ワンコイン」制

「だんだん こども食堂」が開かれるのは毎週木曜の17時半~20時。木曜の午後、「だんだん」で準備中の近藤さんを訪ねると、他の来客や届け物があるなど、とにかく忙しそうだ。

それもそのはず、「だんだん」では子ども食堂だけでなく、月曜以外のほぼ毎日、英会話教室や手話サークルなど、文化センターのような活動が行われ、近藤さんはその経営者でもあるからだ。近藤さんがくれた1月の予定表を見て驚いた。各種の活動でカレンダーはびっしり埋められている。

ただ、「どれも、助成金をもらってこれをやります、と始めたものは一つもない。子ども食堂からのスタートでもないんです。たまたまが重なって今のかたちになっただけで」と、近藤さんはこのコミュニティの成り立ちを話してくれた。

オーナーの近藤博子さん。「八百屋を始めたことで、地域に、昔の商店街と近所の人たちの間にあった『関わり』ができてきた」
オーナーの近藤博子さん。「八百屋を始めたことで、地域に、昔の商店街と近所の人たちの間にあった『関わり』ができてきた」

近藤さんの以前の職業は歯科衛生士。今もパートで衛生士の仕事も続けているが、2006年に常勤を辞めて自然食品の店の手伝いを始めたのが、今の活動の発端になった。

そのうち、無農薬野菜を週末だけ配達してほしいと頼まれ、土つきの野菜を置く場所が必要になったため、08年に土間と小上がりがあった元居酒屋の店舗を居抜きで借りた。そこを改装したのが今の「だんだん」だ。

この場所に週末、新鮮な野菜が届くのを見た近所の人が「買いたい」と集まるようになった。買い物に来ては世間話、身の上話をしていく。話を聞くうちに、一人暮らしの高齢者が多いことや、学習支援が必要な子どもがいることなど、地域の問題を知ることになる。

12年、子ども食堂を始める。当初は大人500円、子ども300円(後に100円)だったが、「払わずにこっそり後ろめたそうに帰る子どもがいて。そんな風になるんだったら、子どもはいっそコインなら何でもいい『ワンコイン』にしようと」。1円でも、ゲームセンターのコインでも、外国のコインでもいい。とにかくワンコイン払って、堂々と食べて帰れるようにという近藤さんのアイデアだ。

取材した日のメニュー。宮崎から毎週届く無農薬野菜がたっぷりのバランスのとれた夕食だ。
取材した日のメニュー。宮崎から毎週届く無農薬野菜がたっぷりのバランスのとれた夕食だ。

今では毎週木曜に子どもが50人前後、大人を入れるとそれ以上の人が、ここにご飯を食べに集まる。調理やお手伝いスタッフは雑誌などで「だんだん」を知った同じ区内の主婦や、子ども時代から縁のある男子高校生など。調理スタッフの女性陣は15時半ぐらいから集まり、胸にエプロン、頭にバンダナを着けてテキパキと野菜やお米を洗うなど作業を始めていた。

17時を過ぎるとまず、小学生の子どもたちが勝手を知った感じで、次々に入って来る。幼稚園児とお母さんの親子連れや、持ち帰り弁当として買って帰るお父さんなどで、あっという間に店内はいっぱいに、賑やかになった。

この日集まった子どもや大人は、特に問題を抱えているからというよりは、「楽しいから」「おいしいから」来ている人が多いように見えた。しかし近藤さんによれば、「楽しそうにしていますが、中には一人親や生活保護の家庭の子、障がいのある子もいます。また、障がいがある高校生の職業体験の場にもなっています。誰でも来ていいよ、と門を開けているので、困り事を抱えた人も気兼ねなく集まって来るのかなと思っています」。

問題のある人もない人も混ざって、地域の拠点、交流点として利用している感じ。ご近所の「クラブ活動」と言えなくもない。知っているおばさんが作ってくれたご飯を友達や親子で食べに来て、お喋りする。毎週行く場所があるって、素敵で心強いことだ。

この賑わいと共に私が驚いたのは、「だんだん」には「仕切り屋」がいないことだった。いわゆるリーダー、前面に出て陣頭指揮をとっている人がいないのだ。近藤さんでさえ、一調理スタッフとしてどこにいるかわからないほど、黒子と化している。

ボランティア全員が自然な流れで協力して働いて、食事が着々と出来上がり、セットがテーブルへと順番に運ばれていく。よくある町内会のイベントのように、古参の誰かが大声を上げて仕切ったり威張ったりしていると、新しい人はなかなか入っていけないが、「だんだん」にはそんな光景はない。これぞリベラル。近藤さんの人間力を感じる。

この日は小学4年生の女の子たちが10人ほど来ていてとりわけ賑やかだった。私が話を聞こうとすると「取材?受けたい!」と集まって来て、目をキラキラさせて我先に話かけてきてくれる。「友だちと一緒に夕飯を食べられるから楽しい」。「ここではめったに食べられないような料理が出てくるし、おいしいから、苦手な野菜が食べられるようになった」。

小学4年生の女の子のグループは毎週ここに一緒に来るのを楽しみにしている。
小学4年生の女の子のグループは毎週ここに一緒に来るのを楽しみにしている。

同級生と一緒に、ボランティアで毎週手伝いに来ているという男子高校生の一人は、「ここには『裏がない』んですよ。学校の友だち同士だと気を遣うけど、ここで小さい子どもたちと本音でズケズケ言い合うのが、息抜きになる」。お金はもらえないけれど週に一度、友だちと働き、いろいろな人と交流するのが楽しいのだそうだ。

近藤さんは言う。「小さな規模でもこういう場所が、地域にたくさんあった方がいいと思うんです。お手伝いしてくれる、何かやりたいという人材はいっぱいいるはず。そのために行政にお願いできるなら、場所だけは用意してほしい。場所も自分たちで探して、家賃を払って、ボランティアで全て成り立たせるというのは無理があります。場所さえあれば、人が集まる小さな拠点を作るのはそう難しくないと思います」

見返りや儲けを目的にせず、目の前のことに淡々と取り組んできた近藤さんの言葉には説得力がある。「だんだん こども食堂」は18年度日本PR大賞の「シチズン・オブ・ザ・イヤー」に選出された。

シチズン・オブ・ザ・イヤーは、地道で独創的な活動を通じて、地域社会の発展に貢献した個人や組織を表彰するもので、近藤さんたちの活動はまさにそれに値するものだと思う。

親子連れや子ども同士のグループ、お手伝いのボランティアスタッフなど、多くの人でいっぱいの店内。
親子連れや子ども同士のグループ、お手伝いのボランティアスタッフなど、多くの人でいっぱいの店内。

高校生ボランティアの一人が話してくれた言葉が記憶に残る。「自分たちのしているのはささいな手伝いだけど、喜んでくれる子どもたちがいるんだから、それでいいかなと思っています」。小さな手伝いも、多くの人がやれば大きな力になる。どんなかたちかは別にして、自分も小さなお手伝いをできる範囲でしていこうと考えた。

中島早苗

今回の筆者:中島早苗(なかじま・さなえ)

1963年東京墨田区生まれ。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)「モダンリビング」副編集長等を経て、現在、東京新聞情報紙「暮らすめいと」編集長。暮らしやインテリアなどをテーマに著述活動も行う。著書に『北欧流 愉しい倹約生活』(PHP研究所)、『建築家と造る 家族がもっと元気になれる家』(講談社+α新書)、『ひとりを楽しむ いい部屋づくりのヒント』(中経の文庫)ほか。
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