発生50年「三億円事件」現場のいま あの日この場所で、犯人は何を考えたか
半世紀後の強奪現場
現金輸送車が強奪されたのは1968年12月10日午前9時22分頃、東京では季節外れの雷雨が降っていた。あと数十メートルで目的地の東芝府中事業所内というところで、ニセ警官に輸送車を止められ、職員は3億円を車ごと奪われた。
その手口についてはもはや言うまでもないが、
「支店長の巣鴨の自宅が爆破されました。この車にも爆弾が仕掛けられているかもしれない」
と言って車の点検を装い、爆発すると見せかけて発煙筒を焚いて職員3人が車から逃げた隙に車を運転して逃走、そのまま75年に時効を迎えて事件は迷宮入りした。
その現金強奪現場は府中刑務所北側の通りで、JR武蔵野線の線路と北府中駅をはさんで広大な東芝府中事業所(以下、東芝府中)が広がり、府中刑務所に向かい合っている立地である。
現在はJR武蔵野線になっている北府中駅だが、1968年当時武蔵野線は未開業。下河原支線という中央線の支線の駅だった。現場となった府中刑務所北の道路、通称学園通りは同じ場所に存在し、人や車が行きかう様子は普通の街と変わらない。
刑務所の北ということで大胆不敵な犯行の印象を受けるが、それまで現金輸送車が走っていた国分寺街道は通りも広く、道路の東西に住宅や学校が広がる。
そこから学園通りを走るとすぐに東芝府中の構内に入ってしまうため、目撃される心配や交通量が少なく、現金輸送車を停めやすい場所として計算の上でこの場所を選んだのではと思わせられる。
何せ後述するように犯行現場の他にも複数の場所で車両を用意して偵察や逃走に備え、予め国分寺支店宛に爆破の脅迫状を送るほどの計画性と周到さを持ち合わせた犯人である。
とはいえ現在では東芝府中に出入りする車両が多く、住宅地の中では交通量が多い印象を受ける。50年前の犯行当時も東芝府中側から自衛隊の車両が通りかかっていて、場所を選んでもなお薄氷を踏むタイミングだった、犯人には運も味方したのだろう。
道路の府中刑務所側は広い歩道として整備されている。「刑務所」「工場」「重大事件の現場」から受ける印象とは逆に平穏な時間が流れている。そんな中で、強奪現場からも見える東芝府中のエレベーター試験棟がまるで監視塔のような異様な存在感を放っていた。
また国分寺駅北口付近にあった、現金輸送車が出発した日本信託銀行国分寺支店は、現在は全く別の建物になっている。