発生50年「三億円事件」現場のいま あの日この場所で、犯人は何を考えたか
手配車を4か月も放置―団地の「第4現場」
事件発生当日、現金輸送車が発見された時点で、東京都下で大々的に検問が行われたものの、逃走車を発見することができなかった。目撃証言から、盗難された濃紺のカローラ「多摩5ろ3519」と判明した逃走車、通称「多摩五郎」が発見されたのは事件から4か月も経った69年4月9日、強奪現場から10キロメートル近く離れた小金井市本町の団地の駐車場だった。
後に航空写真や証言を検証したところ、車は事件翌日から翌年4月9日に中古車のセールスマンに通報されるまで、団地の住民にも警察官にも気付かれずに放置されていたと判明した。
当時は中流層の憧れだった団地だが、この件は団地族の交流の無さや無関心さの一例として報じられたこともあった。現代ならやはり防犯カメラなどで簡単に特定されてしまうだろうが、昭和という時代の大雑把さ、犯罪捜査の難しさを感じさせる話である。
武蔵小金井駅から北へ1キロほどの場所にあるこの団地、現在も典型的な昭和の団地をとどめるような風景の中に建っている。とはいえ当時の写真では未舗装だった道路は整然と舗装され、駐車場の配置も変わっているだろう。
一方で、より駅に近いエリアではモダンなマンションが立ち並んでおり、住宅地として依然人気があることがうかがえる。この地に限らず、高度経済成長期に整備された団地は老朽化と住民の高齢化に直面して庶民の憧れではなくなっている。
60年代という時代を象徴するような3億円事件と共に、モーレツ時代の産物・団地も歴史の中に埋もれようとしているのだろうか。冬の傾いた日差しに照らされる街に、ふとそんな感傷を抱いた。
この日、府中・国分寺でも小金井でも、心なしか警察車両を見かける機会が多かった。年末に向けての特別警戒の一環であろうか。