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広島城、実は3代目 毛利輝元が築いた時代の牡蠣ガラ付き石垣が残る

ご当地テレビ視聴隊

ご当地テレビ視聴隊

2017.09.03 07:20
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[Jステーション-広島ホームテレビ]2017年8月22日放送の広島HOMEテレビ「Jステーション」の「広島のトリセツ」のコーナーで、広島城が紹介されました。

広島城(m-louisさん撮影、Flickerより)
広島城

広島東洋カープは城にちなんだネーミング

広島城を築城したのは、毛利元就の孫にあたる毛利輝元。築城時、世界ではガリレオ・ガリレイが天体望遠鏡で宇宙を見ることに成功していました。

今の広島城は、実は3代目。初代の広島城は原爆で失われてしまいました。2代目は1951年の体育文化博覧会のために建てられた、アトラクション付きのパビリオンで、約9か月でとり壊されました。

広島城は、またの名を「鯉城(りじょう)」といいます。名前の由来については諸説ありますが、城一帯が己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたこと、また鯉は鶴や亀と並んで縁起のいい魚であること、などが考えられるとのことです。ちなみに広島東洋カープの名前は、城から名付けられました。

さらに広島城は意外に広く、お堀の一番外側は、現在の八丁堀西交差点。一丁は、110メートルくらいなので、城を囲む堀の一辺の長さは約880メートルもあったということです。

また、現存していませんが、広島城はかつて88基の櫓(やぐら)があり、その数は、日本最多だったといいます。88というと縁起のいい数字ですが、星座の数やピアノの鍵盤の数も88ということで何か関係が...? はっきりした理由は分かっていないとのことですが、不思議ですね。

石垣には広島らしく、牡蠣ガラが残っています。これは城を作る際に、海から石を持ってきたことによると考えられています。初代の築城当時からも残っているものもあるとか。ぜひ訪れた際には、牡蠣付きの石垣を探してみたいですね。(ライター・石田こよみ)

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