町おこしのため、伝説を「創作」した北海道・標津町...「ウラップ伝説」が作られた経緯を担当者に直撃
過疎が進む中、新たな文化として考案
「水・キラリ」の始まりは1996年まで遡る。標津町の総人口は年々減少し、2010年にはピーク時である1965年の7割ほどになった。また、主産業である漁業と酪農などの第一次産業には厳しい状況が続いていた。
そんな中、将来を見据えた息の長い町作りの一環として、標津町オリジナルの新しい祭りとして1999年に生まれたのが「水・キラリ」だ。様々な地域の祭りを参考にしつつ、2年以上の準備期間を経て実現した。同時に考案されたのが「ウラップ伝説」で、祭りが単発のものでなく、長く続いていくものなるための物語として作られたという。
「ウラップ伝説」は、不漁・不作続きの村に住む2人の開拓者の男女がそれぞれ鮭の化石の欠片を発見するところから始まる。その鮭の化石を、夢の中の暗示の通りにウラップ川に運び、祠を作って祀ると、雨が降り土地も海も蘇った。その後から村人たちは感謝の念を込め、年に1度、源流の祠に作物や海産物を備える、という祭りを始めた、という話だ。
標津町には歴史的な遺跡もあるが、あえて新たな伝説を考案した理由について、町役場の担当者は、
「カリカリウス遺跡やポー川を始めとする遺跡だけでなく、町の新しい力になることを願って祭りを立ち上げ、それを土地に根付かせて未来につなげるための物語を考案しました。遺跡群は現在文化遺産として登録するために動いています」
と語った。町の主要産業である漁業と酪農にちなんだ「鮭」、「水」という要素を軸に、親しまれやすい物語を目指して作られたとのことだ。標津町には「標津サーモン科学館」があり、秋鮭の水揚げ量は日本1を誇るなど、鮭は非常に身近な生き物なのだという。
ただ、町の歴史とは大きく異なる物語を伝説と称することには、賛否両論がある。町の公式サイトでは「伝統・文化・祭り」の項にこのウラップ伝説が掲載、
「今創られた伝説も百年後には立派な伝説に育っているはずです」
という記述も。ネットでは厳しい指摘もされている。
民俗学や歴史学に関わっている人たちにとって頭の痛すぎる話なのでは > ウラップ伝説の創作 https://t.co/P6TjcYqgEB
— うそぶく (@usobuku) 2016年7月13日
大学生の作ったジョークサイトかな???(自分の許せる範囲がそこまでという表明) >標津町の水源であるウラップ川を舞台とした「ウラップ伝説」を創作しました。今創られた伝説も百年後には立派な伝説に育っているはずです。
— 浦上 重徳 (@Ura_sige_OBHN) 2016年7月14日
「水を祭りに反映させる上で標津の資源や素材を生かした祭りづくりのための伝説として、標津町の水源であるウラップ川を舞台とした『ウラップ伝説』を創作」...立先生によって小納谷ちゃんかヤモト=サンの出身地として設定されるほか、もはやこの町を救う手段はない、ような気がしてきた
— 羽鳥羽院さん (@heartvine_aoi) 2016年7月14日
それに関して、
「標津町は開拓者が作った町ではないなど、歴史と異なるという指摘は把握しております。同様の声はネット上だけでなく町の中からも出ていますが、そういった声を受け止め、今後は『祭りを根付かせるため』の物語という背景を周知していき、よりよい祭りへと繋げたいと考えています」
と、批判を受け入れつつも、今後も活動していきたいと意気込みを語った。