名古屋・水戸・仙台...「日本三大不美人」って誰が、いつごろから言い出したの?
秋田美人、京美人、博多美人――。秋田・京都・福岡の3地域が「日本三大美人」と誉めそやされる一方で、大変不名誉なことではあるが「日本三大『不美人』」と揶揄される都道府県がある。
全くありがたくないこのレッテルを貼られてしまったのは、仙台(宮城)・水戸(茨城)・名古屋(愛知)の3都市。雪国ということから色白の女性が多そうな宮城、中部地方の主要都市である愛知、美容に効果てき面だという納豆の特産県である茨城。いずれも、あまり「不美人」といったイメージは浮かばない。
いったい、どのような理由から上の3都市が選ばれたのだろうか。
坂口安吾「仙台には美人がいない」
1980年代から徐々に定着し始めたといわれるこの日本三大不美人、その筆頭は仙台だという。かつて昭和に活躍した小説家の坂口安吾も「仙台には美人がいない」と断言したほどだ。
上の安吾の文章は「それは高尾の祟りであろう」と続く。高尾(太夫)とは、吉原遊郭の筆頭とされる花魁の源氏名。2代目の高尾に熱をあげていた伊達家三代目藩主・綱宗は、嫉妬心から彼女を殺してしまう。殺された高尾は好色な男を呪ったため、仙台に美人が生まれなくなった......という言い伝えが残っている。
また、「不美人県」の理由を江戸時代にまで遡って推測した説もある。
それは、徳川御三家だった水戸藩・尾張藩では、殿様のために地元の美人をみんな江戸に連れて行ったからだというもの。仙台についても同じで、こちらはあの伊達政宗が犯人。派手好きの政宗が、参勤交代の際に世間の注目を集めるため、仙台中の美男美女を江戸に連れていってしまった、という説だ。どちらも笑い話ではあるが、想像が広がっていって面白い。
また、似たような話として、関ヶ原の戦いの後、徳川幕府から秋田への転封を命ぜられた佐竹義宣の説がある。転封に納得できなかった佐竹は、旧領地・常陸国の美人全員を引き連れ、秋田に同行したというのだ。これが後の秋田美人、茨城不美人に繋がるというワケ。
ほかにも、「閉鎖的な土地柄のため、身近なところでパートナーを見つけることを繰り返してきたために美人が少ない」(名古屋)や、「秋田美人の売れ残りが、男を求めて仙台に集まってきているためだ」(仙台)など、その説は数多存在するようだ。
もちろん、美人・不美人の尺度は時代によって大きく変わる。上にあげた説をみてみると、どれも江戸時代から戦後にかけて流布したものが多い。どうやら、今回取り上げた「日本三大不美人」は、一昔前の日本人が作ったジョークの1つと考えて間違いなさそうだ。
そうなると、やはり気になってしまうのは、現代人が選ぶ「不美人県」のランキング。Jタウン研究所は、読者の皆様に「不美人が多そうな都道府県」を調査中だ。
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