そびえたつ天守閣ソープ...千葉市のど真ん中、斜陽の歓楽街「栄町」を歩く
風俗街の歴史は意外と新しい
その名が示す通り、千葉市の栄町は市内有数の繁華街だった。1950年代後半まで国鉄千葉駅と京成千葉駅は下記の位置にあり、栄町通り(現在はハミングロード パルサ)一帯は両駅を結ぶ通りとして繁盛していた。
ところが、1958年に京成千葉駅、1963年に国鉄千葉駅がそれぞれ移転する。この地で営業していた飲食店も新しい駅近くに移動してしまった。
その空いたスペースに、新しく風俗店やラブホテル、韓国料理店などが進出し、現在の街並みが形成される。
首都圏の風俗街としてはニューカマーの部類で、「赤線跡を歩く」「色街をゆく」などの古い書籍に紹介されていないし、旧赤線地帯に残るカフェーのような建物も見られない。
旧千葉駅のあった場所には現在、千葉市民会館が建っている。
かつての駅前から栄町方面を眺めると、大きな茶色の建物が目に飛び込んでくる。これもソープランドだ。
昨年秋、筆者は東京・吉原を歩いた(参照:ソープランド街の朝、午前9時。営業開始前の「吉原」を歩いてみた)。吉原の店舗は3階建てが中心なのに対し、栄町の場合は5階建て以上の店舗も珍しくない。
風俗雑誌の元編集長によると、バブル崩壊前まで栄町はずいぶん賑わっていたという。
「吉原や飛田新地ほどの歴史は長くない分、建物が新しくて大きい。エレベーターが設置されている店もある。個室が広いのは『1室に3人以上の客を入れる設備にしなければならない』と条例で決まっていたことに由来するらしい」
「船橋に中山競馬場があるじゃない。一発当てた人が栄町に金を落としていった」
「地元の女性だけでなく、東京や地方から出稼ぎにくるケースも少なくない。7、8年前、ある高級店に元AV嬢がこっそり在籍していた。1度だけ遊んだことがあって、結構有名な人だった」
カンカン照りの平日の午後ということもあり、風俗街を歩く男性はまばら。水撒きや門番をしているボーイから声をかけられることはなかった。
東京へ戻るため千葉駅に近づくと、今度は変わった形の交番が建っていた。動物だろうか、それともロボットだろうか......。フクロウか。
天守閣のソープランドを見たときはビックリした。しかしよくよく考えると、奇抜な建物は千葉の流儀なのかもしれない。