ソープランド街の朝、午前9時。営業開始前の「吉原」を歩いてみた
東京・浅草の鷲神社の裏手には台東病院と吉原神社、さらにその奥は日本一のソープランド街「吉原」が広がっている。
この地の酉の市が江戸時代からにぎわっているのは、当時一大歓楽街だった吉原遊郭があったからだ。遊女たちは酉の市の開催日に限り、廓の外に出て参拝することができた。
出勤前に酉の市の様子を見学した筆者(参照:有名人の「売約済」だらけ! 年末の風物詩「酉の市」が凄かった)。ここまできたのだからとソープランド街を散策することにした。
多くの店は9時スタート。あと10分後にはその時刻を迎える。
店を探していると筆者は思われたのか、何人かのボーイに声をかけられた。ボーイといっても白髪交じりの年配者ばかりだが。
条例で客引きが禁止されておりボーイは店の敷地から声をかけるだけ。行く手を阻まれることはない。よくいえば条例遵守、悪くいえば行政の統制下におかれている。
吉原は送迎車のサービスが一般化しているが、これはJRの駅から遠いのと、昔は客引きが強引で一般男性がおちおち歩けなかったからだ。
現行の新風俗営業法では店舗の建て替えが禁じられている。建物の正面は派手だが、裏にまわると老朽化は否めない。直下型地震が東京を襲ったとき大丈夫か、ちょっと心配になった。
長引く不況で経営も厳しいのだろう、駐車場に転用されている場所も少なくない。
一角にはファミリー向け大型マンションも建っている。子供を自転車に乗せた主婦も普通に見かけた。
風俗街としての吉原はいずれ消滅するだろうと言われている。
女性向けホテルの前を通りがかった。地方在住でたまに東京に出て吉原で働く、あるいは終電に間に合わないコンパニオンが利用しているのだろう。
吉原を後にして入谷駅に向かう途中で、一人の女性とすれ違った。日比谷線で見かけたOLたちよりずいぶんと質素な服装で、顔にやや生気がない。ほどなく彼女はある店舗に吸い込まれていった。
店の前に積まれているのは土嚢ではなくタオル類。前日に使用された物に違いない。
半袖姿の作業員がそれらを拾って台車で運んでいく。
かつて吉原遊郭は「おはぐろどぶ」と呼ばれた堀で四方を囲まれていた。その内側は若干高くなっており、今でもその地形は残っている。100年後、風俗街の痕跡はそれくらいしか残っていないかもしれない。