何の関係が...? 宮城・蔵王町が「真田幸村ゆかりの郷」で町おこしする理由
地元教育委員会制作のマンガは必読
真田幸村が宮城県内に領地を持った記録はない。多分、宮城に行ったことなんて生涯一度もないだろう。
それでも真田の郷を名乗る理由は、幸村の末裔がこの地に根を下ろしているからだ。先述の公式ホームページには次のように記されている。
「幸村公の子女5人は戦火をかいくぐり、密かに白石城主片倉重綱のもとで養育されていたのです」
「その後、5人のうち幸村公の五女阿梅は片倉重綱の妻となり、次男大八は伊達家の家臣となって刈田郡矢附村・曲竹村(現在の蔵王町矢附・曲竹地区に領地を与えられました)」
「日本一の兵 真田幸村公の血脈は、『仙台真田氏』としてわが郷土に深く根を下ろしたのです」
仙台真田氏の歴史は、同サイトにアップされているコミックでも読める。「仙台真田物語」(制作・発行:蔵王町教育委員会)には伊達家に匿われた理由が紹介されている。ちなみに改訂版だそうだ。
「――なんと幸村は、徳川方である伊達政宗を頼ったのです! ――(中略)――『大阪城落城の折は、我が主幸村の子息大八君と姫君数名をお預かりの上、時を見て真田の名を世に出すお力添え、お願い申し上げます。』幸村の使いの話を聞いた政宗はニヤリと笑いながら、『幸村殿の願い、ようわかった。遠慮なく頼ってこられよ。』と答え、腹心の片倉小十郎重綱に全権を任せたのでした」
そうだったのか......蔵王町が真田推しなのも分かる。タイトルが「仙台真田」なのも――と感心していたら、ページの最後に次のような記述があった。
「※このエピソードは史実にありません。物語の進行上創作したものです」
進行上って......現在の子孫にとってはかなり重要な場面ですよ!
この後「物語上の演出を行なっています」というエクスキューズがちょくちょく出てくる。
いくらなんでもゆるすぎない?とツッコミを入れたくなるが、若干ファンタジーが入った方が読み物としては楽しい。
そういえばゲーム「戦国BASARA」では、真田幸村と伊達政宗はライバルとして描かれていた。そのあたりも踏まえて、仙台に残った幸村の血筋に思いをはせるのもまたいいかもしれない。